「松のよはひ」の版間の差分
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'''松のよはひ'''(まつのよはひ)は、大本の幹部職を歴任した[[徳重高嶺]](とくしげ こうりょう)の97歳を祝賀して作られた出版物。[[出口栄二]]ら関係者20数人のお祝いの言葉、自叙伝、論文の三部構成になっている。 | '''松のよはひ'''(まつのよはひ)は、大本の幹部職を歴任した[[徳重高嶺]](とくしげ こうりょう)の97歳を祝賀して作られた出版物。[[出口栄二]]ら関係者20数人のお祝いの言葉、自叙伝、論文の三部構成になっている。 | ||
* [[徳重高嶺]]は明治35年(1902年)1月1日、香川県三豊郡粟島村(現・三豊市粟島)生まれ。本名は敏雄(はるお)。大正9年(1920年)4月、大本に入信し奉仕者となる。<ref> | * [[徳重高嶺]]は明治35年(1902年)1月1日、香川県三豊郡粟島村(現・三豊市粟島)生まれ。本名は敏雄(はるお)。大正9年(1920年)4月、大本に入信し奉仕者となる。<ref>『松のよはひ』260頁、261頁</ref> | ||
* 第一次大本事件の直後、三代教主から「高嶺」の名をいただく。<ref>『松のよはひ』136頁</ref> | * 第一次大本事件の直後、三代教主から「高嶺」の名をいただく。<ref>『松のよはひ』136頁</ref> | ||
* 第二次大本事件では約3年8ヶ月間、獄中生活を送る。 | * 第二次大本事件では約3年8ヶ月間、獄中生活を送る。 |
2023年11月21日 (火) 18:52時点における版
松のよはひ(まつのよはひ)は、大本の幹部職を歴任した徳重高嶺(とくしげ こうりょう)の97歳を祝賀して作られた出版物。出口栄二ら関係者20数人のお祝いの言葉、自叙伝、論文の三部構成になっている。
- 徳重高嶺は明治35年(1902年)1月1日、香川県三豊郡粟島村(現・三豊市粟島)生まれ。本名は敏雄(はるお)。大正9年(1920年)4月、大本に入信し奉仕者となる。[1]
- 第一次大本事件の直後、三代教主から「高嶺」の名をいただく。[2]
- 第二次大本事件では約3年8ヶ月間、獄中生活を送る。
- 戦後は大本総務、責任役員、教学委員、資料編纂所所長などを歴任。
- 昭和58年(1983年)に定年退職で奉仕を辞す。
- 平成12年(2000年)12月12日帰幽。享年99歳。[3]
題名 | 松のよはひ |
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副題 | 徳重高嶺先生九十七歳祝賀記念出版 |
著者 | 徳重高嶺、他 |
編集 | 徳重高嶺先生九十七歳記念出版編集委員会 |
発行日 | 平成9年(1997年)12月8日 |
発行所 | 大本信徒連合会 |
頁数 | 266 |
定価 | 非売品 |
OBN | OBN:1619 |
脚注
- ↑ 『松のよはひ』260頁、261頁
- ↑ 『松のよはひ』136頁
- ↑ 『大本教学 (大本信徒連合会の教学誌)』第6号、平成13年(2001年)4月8日発行、88頁