徳重高嶺

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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徳重高嶺(とくしげ こうりょう、1902~2000年)は、大本信徒。幹部職を歴任した。

  • 明治35年(1902年)1月1日、香川県三豊郡粟島村(現・三豊市粟島)生まれ。本名は敏雄(はるお)。大正9年(1920年)4月、大本に入信し奉仕者となる。[1]
  • 第一次大本事件の直後、三代教主から「高嶺」の名をいただく。[2]
  • 第二次大本事件では約3年8ヶ月間、獄中生活を送る。
  • 戦後は大本総務、責任役員、教学委員、資料編纂所所長などを歴任。
  • 昭和58年(1983年)に定年退職で奉仕を辞す。
  • 平成12年(2000年)12月12日帰幽。享年99歳。[3]

脚注

  1. 徳重高嶺『松のよはひ』260頁、261頁
  2. 松のよはひ』136頁
  3. 大本教学 (大本信徒連合会の教学誌)』第6号、平成13年(2001年)4月8日発行、88頁