霊界物語第64巻下の諸本相違点

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』

霊界物語第64巻下の諸本相違点について記す。

霊界物語諸本相違点とは、霊界物語刊本の諸本(初版校定版愛善世界社版など)の本文の相違点のことである。

  • 諸本すべてをチェックしたわけではない。飯塚弘明霊界物語ネットのデータ作成の過程において気がついた相違点をピックアップしたものである。霊界物語ネットは愛善世界社版を底本にしており、主に愛善世界社版八幡書店版との相違点をピックアップしてある。全ての相違点ではなく、あくまでも気がついた点だけである。
  • 八幡書店版の本文は校定版とほぼ同じである。また、王仁DBのデータは霊界物語ネットと同じである。
  • 各諸本を次のように略す。 初…戦前の初版 再…戦前の再版(第二版のこと) 三…戦前の三版(四版以降も同様に略す) 御…聖師御校正本 普…普及版 校…校定版 修…修補版 八…八幡書店版(八幡版) 愛…愛善世界社版(愛世版) R…霊界物語ネット
  • 最も基準にすべき原典は御校正本であり、それと他の諸本を比較すべきである。また、八幡版の底本は校定版である。しかし霊界物語ネットのデータ作成の段階では御校正本や校定版が入手できなかったため、やむを得ず、八幡版や愛世版を基準にして、御校正本や校定版を比較しているかのような書き方をしている場合もある。
  • 天祥地瑞は最初から校正された状態で発刊されているため、御校正本というものは存在しない。戦前発行された初版と、戦後発行された版(再版以降)との比較になる。
  • ストーリー上の矛盾や、意味の変更を伴うような重大な相違点については 【重大】 という表示を付けた。

p5(第1章) 九日は聖の土曜で(略)十日は聖の金曜であつて(略)十一日は聖の土曜で
p8 御校正本と同じ
p498上 御校正本と同じ
p8 九日は聖の木曜で(略)十日は聖の金曜であつて(略)十一日は聖の土曜で (p299追註にこの件に関する注記あり)
【重大】愛世版と同じ「木曜」
p7(第1章) 復活祭第一
p10 御校正本と同じ
p498下 復活祭第一日
p10 御校正本と同じ
御校正本と同じ
p7(第1章) 先途(せんと)に立つて神の御前に三拝し、
p10 先頭(せんとう)に立つて神の御前に三拝し、
p498下 校定版と同じ
p10 御校正本と同じ
御校正本と同じ(2020/5/24までは校定版と同じ)(意味としては「先頭」が妥当だろうが、「先途」でも分からなくもない)
p501上 そは主キリストや孔子はいはゆる学者の
p17 そは主キリストや孔子は所謂学者
愛世版と同じ
p505下 細い路地を潜つて
p28 細い路次を潜つて
愛世版と同じ(他の箇所にもあり)
p508上 あの迷惑さうな顔わいのう』
p33 あのマア迷惑さうな顔わいのう』
愛世版と同じ
p48,49(第3章) 私だつてあのブラバーサには深い深い恨(いこん)が(略)恨が残つて居るとすれば何うだ、
p43,44 私だつてあのブラバーサには深い深い恨(ゐこん)が(略)恨が残つて居るとすれば何うだ、
p511上 校定版と同じ
p42 御校正本と同じ
御校正本と同じ(2020/5/25までは校定版と同じ)(「意恨」という書き方もあるので誤字ではない。weblio辞書
11ヶ所

p71(第4章):無体な事いふ婆だから、愛(あいさう)が尽きた。
p76(第5章):疑惑心の深い事には愛(あいそ)が尽きました。
p78(第5章):スツカリ愛(あいそ)が尽きたのですよ。
p80(第5章):いや、もう愛(あいそ)がつきました。
p98(第6章):愛(あいそ)尽かしが出る以上は
p98(第6章):愛(あいそ)尽かされるのも結句光栄です。
p99(第6章):此夫に対し愛(あいそ)尽しを云つたらう。
p112(第7章):お花の打つて変つた愛(あいさう)づかしと無情な仕打に
p227(第13章):お愛をするのを…… (元は「会計(くわいけい)」だったが「愛想」に訂正している。フリガナは無し)
p250(第14章):あれ程お寅さまに愛(あいそ)をつかして
p346(第21章):私はもう愛(あいそ)が尽きました。

p60,65,66,68,82,82,83,94,188,191,285

最後の第21章だけ「愛(あいそ)」、他は全て「愛(あいそ)」

p60,64,65,67,82,82,83,93,184,188,279

御校正本と同じ(第13章のフリガナは「あいそ」)

御校正本と同じ(「愛相」や「愛憎」でも意味が伝わらなくはない)
p527上 『ウン、それやさうだ、お寅が今頃にや
p84 『ウン、それやさうだ、お寅が今頃にや
愛世版と同じ
p118(第7章) そして又ドヽ何処ので、
p98 そしてまたドドどこので、
p532下 校定版と同じ
p98 御校正本と同じ
御校正本と同じ(2020/5/25までは校定版と同じ)
p126(第8章) 婦人も少年も、これに加はつて
p105 御校正本と同じ
p535上 婦人も青年も、これに加はつて
p105 御校正本と同じ
御校正本と同じ「少年」(2020/5/25までは八幡版と同じ「青年」)
p157(第10章) 精通して居る上、人の和を得てる上、あれ丈の人気だつたから、
p131 御校正本と同じ
p543上 精通してゐる上、あれだけの人気だつたから、 (「人の和を得てる上」が欠落)
p129 御校正本と同じ
御校正本と同じ
p546下 三十円の催
p137 三十円の催
愛世版と同じ
p175(第10章) 真宗の開山いんらん上人ですよ。
p144 シン宗の開山いんらん上人ですよ。 (浄土真宗に配慮して「シン宗」に直したか?)
p548下 校定版と同じ
p142 御校正本と同じ
御校正本と同じ
p551上 有名なお札博士のスタールといふ
p148 有名なお札博士のスタールさまと云ふ
愛世版と同じ
p195(第11章) 橄欖山を下らむと、霊城の受付を
p162 橄欖山を下らむとするところへ、霊城の受付を
p555上 校定版と同じ
p159 御校正本と同じ
【重大】校定版と同じ (御校正本の文章だと、文法がおかしくて意味が不明)
p380上 敵対ふて来るには鬼か大蛇のやうになる
p224 敵対うて来る身魂には鬼か大蛇のやうになる
愛世版と同じ
p278(第16章) トンクはドンドンと露路口の細路を
p581上 トンクはドンドンと露地口の細路を
p227 御校正本と同じ
御校正本と同じ
p232 待遇をして追ひ返したその翌日、
p581下 校定版と同じ
p229 待遇をして追返したその翌日、
愛世版と同じ
p280(第17章) チョコナンと坐り、天津祝詞を奏上し始めたり。
p232 チョコナンと坐り、祝詞を奏上し始めたり。
p581下 校定版と同じ
p229 御校正本と同じ
御校正本と同じ(2020/5/25までは校定版と同じ)(ここでお寅が奏上する祝詞は大本で使う天津祝詞ではないので、校定版では単なる「祝詞」に直したか? しかし小北山で使う天津祝詞という意味かも知れない)
p581下 エルサレムの霊城に神まつります、
p229 エルサレムの霊城に神つまります、
愛世版と同じ
p281(第17章) あゝ惟神霊幸倍坐世、ポンポンポンポン』(改行)と四拍手し
p233 あゝ惟神霊幸倍坐世』(改行)ポンポンポンポンと四拍手し
p582上 校定版と同じ
p230 御校正本と同じ
校定版と同じ
p291(第17章) 灰と水と(ささら)とで
p240 灰と水と(ささら)とで
p585上 校定版と同じ
p237 御校正本と同じ
御校正本と同じ(2020/5/25までは校定版と同じ)
p298(第17章) ?(略)然し有明のあや子と云ふ女
p245-6 有明あや子といふ白首が(略)しかし有明のあや子といふ女
p586下-587上 有明のあや子といふ白首が(略)有明のあや子といふ女
p242-3 有明の綾子と云ふ白首が(略)然し有明のあや子と云ふ女
愛世版と同じ
p602上 聖地の風を紊し、
p282 聖地の風を紊し、
愛世版と同じ