{{#if:第23巻|霊界物語第23巻の諸本相違点について記す。}}
霊界物語の諸本相違点とは、霊界物語刊本の諸本(初版、校定版、愛善世界社版など)の本文の相違点のことである。
- 諸本すべてをチェックしたわけではない。飯塚弘明が霊界物語ネットのデータ作成の過程において気がついた相違点をピックアップしたものである。霊界物語ネットは愛善世界社版を底本にしており、主に愛善世界社版と八幡書店版との相違点をピックアップしてある。全ての相違点ではなく、あくまでも気がついた点だけである。
- 八幡書店版の本文は校定版とほぼ同じである。また、王仁DBのデータは霊界物語ネットと同じである。
- 各諸本を次のように略す。 初…戦前の初版 再…戦前の再版(第二版のこと) 三…戦前の三版(四版以降も同様に略す) 御…聖師御校正本 普…普及版 校…校定版 修…修補版 八…八幡書店版(八幡版) 愛…愛善世界社版(愛世版) R…霊界物語ネット
- 最も基準にすべき原典は御校正本であり、それと他の諸本を比較すべきである。また、八幡版の底本は校定版である。しかし霊界物語ネットのデータ作成の段階では御校正本や校定版が入手できなかったため、やむを得ず、八幡版や愛世版を基準にして、御校正本や校定版を比較しているかのような書き方をしている場合もある。
- 天祥地瑞は最初から校正された状態で発刊されているため、御校正本というものは存在しない。戦前発行された初版と、戦後発行された版(再版以降)との比較になる。
- ストーリー上の矛盾や、意味の変更を伴うような重大な相違点については 【重大】 という表示を付けた。
八 |
p506上 |
魔我彦はやにはに両手を組み、竹彦に向かつてウンと一声、
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愛 |
p35 |
魔我彦は矢庭に両手を組み、竹彦に向つてウンと一声、魔我彦は、
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R |
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愛世版と同じ
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御 |
p67(第4章) |
アトラスの様な曼陀羅の面を講座の上に曝し、(この章の中に4回「講座」があるが、「高座」は1回も無い)
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校 |
p59 |
アトラスのやうな曼陀羅の面を高座の上に曝し、(「講座」には「講義をする場所」という意味もあるの誤用ではないが、分かりやすくするために「高座」に直したか?)
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八 |
p514上 |
校定版と同じ
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愛 |
p57 |
御校正本と同じ (他にp59,70,71にもあり)
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R |
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御校正本と同じ「講座」(2020/5/9までは「高座」)
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八 |
p519上 |
高姫はじめ魔我彦、竹彦の宣伝使、エライ取違ひを
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愛 |
p69 |
高姫様始め魔我彦、竹彦の宣伝使、エライ取違ひを
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R |
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愛世版と同じ
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御 |
p99(第5章) |
一人の娘を調裁坊に致し、(一般には校定版のように「嘲斎坊」と書く。「人を馬鹿にしてからかうこと。また、嘲弄される人」〔広辞苑〕)
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校 |
p88 |
一人の娘を嘲斎坊にいたし、
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八 |
p524下 |
校定版と同じ
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愛 |
p85 |
御校正本と同じ
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R |
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御校正本と同じ
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八 |
p538上 |
想へば可哀さうになつてきた
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愛 |
p120 |
想へば想へば可愛相になつて来た
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R |
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愛世版と同じ
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御 |
p154(第7章) |
婆は涙を拭ひ乍ら、(改行)お久『ハイもう
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校 |
p131 |
お久は涙を拭ひながら、(改行)『ハイもう
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八 |
p540下 |
校定版と同じ
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愛 |
p128 |
御校正本と同じ
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R |
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御校正本と同じ
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御 |
p165(第8章) |
(章末の「附記」)
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校 |
p139 |
(掲載されていない)
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八 |
p540下 |
(掲載されていない)
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愛 |
p136 |
(掲載されている)
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R |
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【重大】(掲載する)
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八 |
p559下 |
あなたは既にお宝が手に
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愛 |
p179 |
貴方は既に已にお宝が手に
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R |
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愛世版と同じ
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八 |
p560上 |
ちつと腕に撚りでもかけて燥ぎなされ』
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愛 |
p180 |
些と腕に撚りでもかけて噪ぎなされ』
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R |
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愛世版と同じ
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御 |
p286(第14章) |
これも神が媒介(なかうど)を致さぬと、 (「致さん」を「致さぬ」に訂正している)
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校 |
p236 |
これも神が媒介をいたさむと、
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八 |
p580上 |
校定版と同じ
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愛 |
p232 |
御校正本と同じ
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R |
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校定版と同じ (文意は「媒介をしよう」だが、「さぬ」だと打ち消し、つまり「媒介をしない」という意味になってしまう。校定版の「さむ」が正しい)
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八 |
p586下 |
宣伝使は岩窟の前に中婆の首を垂れ、モノグロしてをるのを見て、
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愛 |
p248 |
宣伝使は岩窟の前に中婆の首を垂れ、モノログして居るのを見て、
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R |
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愛世版と同じ
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八 |
p591上 |
あまたの教従を呼び集へ(誤字)
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愛 |
p262 |
数多の教徒を呼集へ
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R |
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愛世版と同じ
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御 |
p340(第17章) |
さう血道を分けて呆ける筈は無い。
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校 |
p279 |
御校正本と同じ
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八 |
p596上 |
さう血道を上げて呆けるはずがない。(一般的には「血道を上げる」と言う。「血道を分ける」とは言わない。一般的な語法としては八幡版が正しい)
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愛 |
p274 |
御校正本と同じ
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R |
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御校正本と同じ
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御 |
p342(第17章) |
もゝくちやだらけの紙を両手で皺を伸ばし乍ら、(繰り返し記号「ゝ」なので、誤字というわけではないだろう)
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校 |
p281 |
御校正本と同じ
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八 |
p597上 |
もみくちやだらけの紙を両手で皺を伸ばしながら、
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愛 |
p276 |
御校正本と同じ
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R |
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御校正本と同じ
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御校正本・愛世版で「オースタリヤ」が、校正版・八幡版で「オースタラリヤ」に直されている。
- 第23巻第17章に3ヶ所 御校正本p343,345,347
- 第23巻第18章に1ヶ所 御校正本p361
- 第34巻第4章に1ヶ所 御校正本p57
それ以外のところでは「オーストラリヤ」が使われている(たとえば第24巻第3章の章末 御校正本p63)。
「オースタリヤ」は誤字ではなく、「トラ」が転訛して「タ」になった発音とも考えられる、霊界物語ネットでは直さずにそのままにしておく。
第8章の「付記」は八幡版には掲載されていない。【重大】