三浦一郎
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三浦一郎(みうらいちろう、1904 - 1977)は、大本信徒。別名「三村光郎」[1]。昭和16年に著書『九鬼文書の研究』で「九鬼文書」を初めて世に公表した。
- 明治37年(1904年)青森県南津軽郡大鰐村(現・大鰐町)で生まれる。
- 昭和6年(1931年)日本大学宗教科卒業。
- 昭和8年(1933年)朝鮮京城府三坂通に皇学研究所ならびに皇風社本部を創立。機関紙『皇風』発行。終戦に至る。
- 昭和20年(1945年)朝鮮引き揚げと同時に、大本教団新発足準備に参加。翌年2月7日教団が発足して以来、職員として勤務。専任講師。
- 昭和42年(1967年)4月より大阪府吹田市の学校法人明治東洋医学院(鍼灸科、柔整科、理療科)にて医学史講師を兼務。
- 昭和52年(1977年)没、73歳。
- 著書 心霊医学基本教科書、かむながら医学(4巻)、九鬼古文書の研究、古事記の新鑑賞、日本とイスラエル、その他
〔上の略年表は原則として『手あて健康法』の著者紹介を元に作成した〕
主な著書
- 『古事記の新鑑賞』昭和11年(1936年)
- 『九鬼文書の研究』昭和16年(1941年)11月15日、皇道宣揚会
- 『九鬼文書の研究』昭和62年(1987年)2月、八幡書店、昭和16年版の復刻+資料・解説
- 『九鬼文書の研究 新装版』平成11年(1999年)2月、八幡書店
- 『手あて健康法』昭和62年(1987年)9月、たま出版
- 『奇蹟のハンド・ヒーリング』平成7年(1995年)11月、たま出版
脚注
- ↑ 国立国会図書館典拠データによる