「小北山」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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* 小北山では三五教と同じように[[十曜の神紋]]を使い[[国治立命]]を祭っている。<ref>{{rm|44|18|一本橋}}:「『(略)不思議の事には小北山の神様にも'''十曜の紋'''がつけてありました』『さうして何といふ神様が祭つてあるのだ』『ハイ'''国治立命'''様とか承はりました』」</ref>
* 小北山では三五教と同じように[[十曜の神紋]]を使い[[国治立命]]を祭っている。<ref>{{rm|44|18|一本橋}}:「『(略)不思議の事には小北山の神様にも'''十曜の紋'''がつけてありました』『さうして何といふ神様が祭つてあるのだ』『ハイ'''国治立命'''様とか承はりました』」</ref>
* 小北山の神殿は、階段を200段ばかり登った上にある。<ref>{{rm|44|21|小北山}}:松彦一行は大岩の傍で休憩をした後「一町(約109m)ばかり峻坂を登り、細い階段を二百ばかり刻みながらやうやく小北山神館の門口に着きける」</ref>
* 小北山の神殿は、階段を200段ばかり登った上にある。<ref>{{rm|44|21|小北山}}:松彦一行は大岩の傍で休憩をした後「一町(約109m)ばかり峻坂を登り、細い階段を二百ばかり刻みながらやうやく小北山神館の門口に着きける」</ref>
* 小北山の山頂には石の宮が三社祭ってある。<ref>{{rm|45|1}}:お寅のセリフ「小北山の山頂に石の宮様が三社祭つて厶いませう。そして右のお宮様にはユラリ彦命様、又の御名は末代日の王天の大神様と申します」、{{rm|44|21|}}:爺(文助)のセリフ「石の宮が三社あつて、正中が月の大神様、日の大神様御夫婦が祀つてある。右の石の宮は末代日の王天の大神様上義姫大神様御夫婦がお祀りになつてゐる。左の方が日照らす大神様、大照皇大神宮様御夫婦が御祀りだ」</ref>
* 小北山には様々な社がある。<ref>{{rm|44|21|小北山}}の爺([[文助]])のセリフに出て来る。</ref>
** 下の方には[[大門神社]]と呼ぶ大きな神殿があり、[[国治立命]]と、左には[[ユラリ彦命]](別名・[[末代日の王天の大神]])、右には[[上義姫命]]が祭ってあるほか、いろいろな神を祭っている。
** その上の方には断岩絶壁を開いて建てられた石造りの宮や木造の拝殿がたくさん建っている。まず[[種物神社]]があり、[[地の世界の大神]]・[[日の丸姫の大神]]が祭ってある。右の方には[[義理天上]]・[[玉乗姫]]を、左には[[大将軍]]・[[常世姫]](いずれも夫婦だと思われる)のお宮が建つ予定。
** その上には木造の宮が三社あり、中央には[[生場神社の大神]]・[[岩照姫の大神]]の夫婦が、右には[[りんとう美天大臣]]・[[木曽義姫の大神]]の夫婦が、左には[[五六七上十の大神]]・[[旭の豊栄昇りの大神]]の夫婦が祭ってある。
** さらにその上には石の宮が三社あり、中央には[[月の大神]]・[[日の大神]]の夫婦が、右には[[末代日の王天の大神]]・[[上義姫大神]]の夫婦が、左には[[日照らす大神]]・[[大照皇大神宮]]の夫婦が祭ってある。
** 山頂に石の宮が三社あり、右のお宮に[[ユラリ彦命]]を祭っているという記述もある。<ref>{{rm|45|1}}:[[お寅]]のセリフ「小北山の山頂に石の宮様が三社祭つて厶いませう。そして右のお宮様にはユラリ彦命様、又の御名は末代日の王天の大神様と申します」</ref>
** ウラナイ教の神観は[[三五教]]の神観をもじって作り上げた支離滅裂なものなので、必ずしもその名の神や人がいるわけではない。


== 主なエピソード ==
== 主なエピソード ==

2018年10月16日 (火) 12:42時点における版

小北山(こぎたやま)は、

(1) 霊界物語に登場する地名。坂照山にある、ウラナイ教の本山(神殿)のこと。

(2) 霊界物語第44巻第21章の章題。

本ページでは(1)について解説する。


概要

  • 初出:[[{{#switch:44

|64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第44巻 }}総説]]{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z0002|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=00002|#default=0002 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #[[{{#switch:44 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第44巻 }}第18章]]{{#if:一本橋|「一本橋」}}{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z18|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=018|#default=18 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #

主なエピソード

第44巻第21章(最後の章)から第46巻にかけて小北山が舞台となる。

三五教の宣伝使・松姫は、錦の宮の教主・言依別命の特命により、小北山に潜入し、ウラナイ教の実権を握った[8]松彦(松姫の生き別れになった夫)が小北山にやって来たのを機に、夫婦力を合わせて小北山の改革に乗り出す。蠑螈別魔我彦は小北山から消え去り、松姫が教主となって宗教改革を行う。→詳細は「第45巻」「第46巻」を見よ

脚注

  1. [[{{#switch:45 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第45巻 }}第7章]]{{#if:相生の松|「相生の松」}}{{#if:|頁}}{{#if:a023|/a023 }}{{#if:a031|-a031 }}}}{{#switch:z7|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=07|#default=7 }}{{#if:{{#if:a023|a023 }}|&mka={{#if:a023|a023 }} }}{{#if:{{#if:a031 |a031 }} |-{{#if:a031 |a031 }} }}{{#if:{{#if:a023|a023 }}|#{{#if:a023|a023 }} }} #:「後に残りし魔我彦は 蠑螈別を教祖とし 北山村を後にして 坂照山に立こもり 茲に愈ウラナイの 教を再び開設し 小北の山の神殿と 称へて教を近国に 伝へ居るこそ雄々しけれ」、[[{{#switch:49 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第49巻 }}第13章]]{{#if:胸の轟|「胸の轟」}}{{#if:|頁}}{{#if:a394|/a394 }}{{#if:a403|-a403 }}}}{{#switch:z13|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=013|#default=13 }}{{#if:{{#if:a394|a394 }}|&mka={{#if:a394|a394 }} }}{{#if:{{#if:a403 |a403 }} |-{{#if:a403 |a403 }} }}{{#if:{{#if:a394|a394 }}|#{{#if:a394|a394 }} }} #:「(魔我彦のセリフ)「実の所は貴女が三五教へお入信りになつてから、蠑螈別様が北山村を立退き、坂照山に貴女のお筆先を元として(略)小北山の神殿と称して、蠑螈別様が教主となり、私が副教主として活動してゐました」
  2. [[{{#switch:44 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第44巻 }}第18章]]{{#if:一本橋|「一本橋」}}{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z18|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=018|#default=18 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #で、松彦一行は浮木ケ原に向かう途中で、小北山に寄っている。また[[{{#switch:45 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第45巻 }}第20章]]{{#if:蛙行列|「蛙行列」}}{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z20|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=020|#default=20 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #では、松彦一行は「小北山を後に眺めて浮木の森を指して足を早めた」とあり、両者は近隣にあると思われる。
  3. [[{{#switch:39 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第39巻 }}第13章]]{{#if:|「[[]]」}}{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z13|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=013|#default=13 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #:「印度と波斯との国境 天地の神の御稜威をば アフガニスタンの大原野 浮木ケ原の森蔭に」
  4. [[{{#switch:44 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第44巻 }}第18章]]{{#if:一本橋|「一本橋」}}{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z18|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=018|#default=18 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #:「『(略)不思議の事には小北山の神様にも十曜の紋がつけてありました』『さうして何といふ神様が祭つてあるのだ』『ハイ国治立命様とか承はりました』」
  5. [[{{#switch:44 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第44巻 }}第21章]]{{#if:小北山|「小北山」}}{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z21|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=021|#default=21 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #:松彦一行は大岩の傍で休憩をした後「一町(約109m)ばかり峻坂を登り、細い階段を二百ばかり刻みながらやうやく小北山神館の門口に着きける」
  6. [[{{#switch:44 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第44巻 }}第21章]]{{#if:小北山|「小北山」}}{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z21|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=021|#default=21 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #の爺(文助)のセリフに出て来る。
  7. [[{{#switch:45 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第45巻 }}第1章]]{{#if:|「[[]]」}}{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z1|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=01|#default=1 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #お寅のセリフ「小北山の山頂に石の宮様が三社祭つて厶いませう。そして右のお宮様にはユラリ彦命様、又の御名は末代日の王天の大神様と申します」
  8. [[{{#switch:45 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第45巻 }}第5章]]{{#if:肱鉄|「肱鉄」}}{{#if:|頁}}{{#if:a079|/a079 }}{{#if:a080|-a080 }}}}{{#switch:z5|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=05|#default=5 }}{{#if:{{#if:a079|a079 }}|&mka={{#if:a079|a079 }} }}{{#if:{{#if:a080 |a080 }} |-{{#if:a080 |a080 }} }}{{#if:{{#if:a079|a079 }}|#{{#if:a079|a079 }} }} #:「松姫は千代と云ふ十二三の小娘を小間使として此処に引籠りウラナイ教の実権を握つて居る。表面からは蠑螈別が教祖なれど実力は此松姫にあつた。(略)松姫はもとウラナイ教の取次で高城山に教主をやつて居た剛の女である。(略)言依別命が特に松姫に命じウラナイ教に差遣はし、教理を根本的に改正せしめむとなし給うたのである。」

関連項目