人物メモ

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』

オニペディア編集者用のメモ

霊界物語の人物

現実の人物

  • 湯浅斎次郎は文献によっては湯浅斎治郎と書いてある場合もある
  • 『真如能光』昭和3年(1928年)4月5日号「天恩郷だより」p40に「笹目恒雄氏本日蒙古よりの珍客三名を伴ひて来郷いたしました」とある。
  • 笹目恒雄 人類愛善新聞 在満州記者 記事あり 『人類愛善新聞』昭和6年(1931年)11月23日号p1
  • 「豊受の神の豊国の、主と現はれ真寸鏡」伊都能売神諭 大正8年1月27日#
  • 日向良広は旧名は尾崎享吉 真如の光1934-5p4
    • 改姓名 尾崎享吉 → 日向良広(ひうが・よしひろ) 真如の光 昭和9年(1934年)5月10日号p4
  • 森良仁 は「りょうじん」とも読むらしい 大地の母12巻p148 『真如の光』大正15年(1926年)2月15日号p25
  • 山川日出子の本名は佐賀美子? 愛善世界 平成24年(2012年)5月号 p65
  • 名田音吉について「名田(音吉)は有栖川宮様に従いて世界中へ漫遊して来たから蒙古語も皆知つて居ると云ふ」『真如の光』大正14年(1925年)11月5日号「蒙古人とエスペラント」p8(王仁三郎の講演録)
  • 大宮守子が大正14年(1925年)9月8日付で宣伝使に任命されている。『真如の光』大正14年(1925年)11月5日号p53
  • 大正14年(1925年)11月30日、吉田兌三、福知山連隊から満期除隊。『真如の光』大正14年(1925年)12月5日号p41
  • 大正14年(1925年)12月1日、吉田兌三、出口家を離席。『真如の光』大正14年(1925年)12月15日号p36
  • 岡田茂吉、『真如の光』大正14年(1925年)12月25日号に賀詞を出している
  • 藤沼庄平『婦人の国』5月号の「大正聖代の怪宗教大本教撲滅秘史」を取り消す。『真如の光』大正15年(1926年)4月25日号p99
  • 昭和2年(1927年)大本春季大祭の後、井上総裁から四女・出口一二三の帰幽が発表された。一二三は大正10年(1921年)12歳の時にお腹に水が溜まる病気になった。筆先には「輪能比売(りんのうひめ)」という神名。一二三には祥栄(よしひで)という子供がいたが、3月20日に国替えし、一二三は24日に国替えした。 『真如の光』昭和2年(1927年)4月15日号p23~
  • 星田悦子(ほしだえつこ) 第44巻序文#
  • 昭和2年(1927年)7/28付 砂泊兼照 宣伝使試補から准宣伝使に昇任 真如の光 昭和2年(1927年)8/15号p34
  • 大宮守子を歌った歌 『真如の光』昭和3年(1928年)4/26p2
  • 第2巻盤古大神常世の国にいる。第2巻第49章#「盤古大神の館に参向し」
  • 王仁三郎の初孫、出口操、昭和4年(1929年)5月29日生まれ。出口和明「落胤問題を実証する(三)」p8
  • 河津雄(いさむ)
  • 松村真澄の神名 永春彦命 『真如の光』昭和3年(1928年)7月5日号p33
  • 筧清澄 旧名 守蔵 聖師様から名をいただき改名 『真如の光』昭和3年(1928年)12/25p97
  • 宣統帝使を派して親筆の福寿の軸を贈り来ませり 『真如の光』昭和4年(1929年)1月15日号p5
  • 東尾吉雄 よみかた ひがしおよしお 第17巻総説歌/a091#
  • 岩田久太郎 いわたきうたらう 真如の光 昭和9年(1934年)3/25p20
  • 小山内匠(こやま たくみ)大正2年(1913年)生まれ、新聞記者10余年の後、信仰生活に入る。『霊魂と霊界の話』p215著者略歴 富山新聞論説室長 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1692760/972
  • 高木鉄男 明治製糖の専務 明治製糖株式会社三十年史p86-87
  • 土井靖都/土井大靖(ひろやす)[1]:明治16年(1883年)生まれ。東京帝大法学部独学科卒業。東京地検の検事。大正8年(1919年)初参綾。大正9年(1920年)7月7日から亀岡に移住し、本部奉仕。東大病院で看護婦長をしていた清江と大正11年(1922年)に結婚。第二次大本事件で3年8ヶ月の獄中生活を送る。昭和14年(1939年)夏に出所。昭和39年(1964年)1月9日帰幽、享年81歳。[2]
  • 三田村四郎
    • 巨人出口王仁三郎』213頁「かくし子事件」
    • 『木戸幸一関係文書』(1966年11月刊)に「王仁三郎ヨリ嘗テ三田村四郎等ニ共産党資金ヲ供与セル事実アリト」という記述がある。
    • 『労働運動見たまま 第1集』1947年、NDLDL蔵書、三田村四郎の項、261頁「ただ彼のために一言弁護したいのは大本教の出口王仁三郎師との関係は彼の大阪時代の遺児を出口が世話をしていることで、それ以上の何物でもないとうことである」

脚注

  1. 読み方は『大本関東教区七十年史』p117による
  2. 『神の国』平成10年(1998年)4月号「切紙神示はどこから」22~23頁、出口和明の発言による。