月見里稲荷神社

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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月見里稲荷神社(やまなしいなりじんじゃ)(略して月見里神社)は、静岡・清水にある神社。長沢雄楯が神職をしていた。

月見里笠森稲荷神社 平成16年(2004年)10月2日撮影
月見里笠森稲荷神社
月見里笠森稲荷神社
月見里笠森稲荷神社
月見里笠森稲荷神社のすぐ近くにある三五教駿河主会 平成16年(2004年)10月2日撮影

上田喜三郎は、神社附属の稲荷講社に加入し、長沢雄楯から霊学を学ぶため、何度か神社を訪れている。→詳細は「稲荷講社」「長沢雄楯」を見よ

霊界物語には第37巻の自叙伝に登場する。初出:第37巻第20章仁志東#

神社概要

  • 現在の正式名は「月見里笠森稲荷神社」
  • 住所:当時・静岡県安倍郡不二見村下清水 / 現在・静岡市清水区岡町9
  • 祭神:当時[1]・宇迦之御魂命、大己貴命、猿田彦命、大宮姫命、保食命 / 現在[2]・天宇受売命 [相殿]宇迦能御魂命、猿田彦命、久那斗命、速佐須良比売命
  • 由緒:当時[1]・不詳 / 現在[2]:創建は約1570年前、第19代允恭天皇の御代13年5月15日に、清見潟の島の領主・郷士善四郎忠村の遠都御祖が招請して天宇受売命を奉祀し、更に同28年に宇迦能御魂命他三柱の大神等を配祀した。

月見里の語源

月見里(やまなし)という地名や苗字は「月が見える里には山が無い」(山がないと月を見ることができる)という意味らしい。[3]

中野与之助の「三五教」

大本信者だった中野与之助は昭和24年(1949年)、清水市にて「三五教」という新宗教を興すが、本部を月見里稲荷神社のすぐ近くに置いた。開教の由来として──明治32年(1899年)春、長沢雄楯が神社で神懸かりの修行をした際に「今から50年後に三五と書いてあなないという世界的な宗教がここに生まれる」という神示があった。長沢に師事した中野は神示の通り50年後の昭和24年4月4日に開教した──とする。[4]

現在は掛川市に本部がある。

脚注

  1. 1.0 1.1 『静岡県安部郡誌』(大正3年、安部郡時報社)p693による情報。(国立国会図書館デジタルコレクション
  2. 2.0 2.1 境内の由緒立札による。
  3. 日本姓氏語源辞典」、「ニコニコ大百科
  4. 三五教公式サイトの「開教の由来」:「明治32年春、長澤翁が審神者となり、天宇受売大神の鎮まり給う月見里(やまなし)神社において神懸りの修行をされた折に、「今から50年後に三五と書いてあなないという世界的な宗教がここに生まれる」という神示がありました。縁あって長澤翁に師事、霊学を学んだ中野與之助開祖は、鎮魂帰神の神法伝授によって神人合一の道を感得し、人類の精神教化をはかることこそ世界を救済する道であることを確信。やがて長澤翁より霊学の奥義のすべてを伝授され、艱難辛苦の中に、更なる修行を経て開教したのが、奇しくも神示の通り、50年後の昭和24年4月4日でありました。」(2021年10月31日閲覧)

外部リンク