霊界物語
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霊界物語(れいかいものがたり)とは、出口王仁三郎が書いた全81巻から成る書物のこと。大本の二大教典の一つ。
概要
- 著述は基本的に王仁三郎が口述し、30数名の筆録者が書記した。一部、王仁三郎が直接書記した部分もある。→ 筆録者
- 大正10年(1921年)から15年にかけて72巻が、昭和8年(1933年)から9年にかけて9巻(天祥地瑞)が書かれた。
- 第64巻が上・下の2冊に分かれており、他に番外編として「入蒙記」が1冊入っているため、巻数としては第81巻までしかないが、冊数は83冊あるため「81巻83冊」と呼ばれる。
- 当初は全部で120巻になる予定だった第1巻附記#。また最初は神命で360字詰め原稿用紙400枚を1巻とし、36巻を1集として48集つまり1728巻書けと命じられたが、それではあまりにも長すぎるので神様にお願いして120巻にしてもらった[1]。
- 王仁三郎は口述開始の時に筆録者の一人の桜井重雄に「三界通覧」という書名にしようかと言っていたが、最終的には「霊界物語」になった[2]。
- 霊界物語の「霊界」とは「霊妙な世界」の意味であり、顕界(現界)・幽界(地獄界)・神界(天界)の三界の総称である[3]。
著述の動機
輯
霊界物語は12巻ずつ一括りになっており、「輯(しゅう)」と呼ぶ[4]。それぞれ輯の題名が付けられており、1巻ごとに十二支の名前が与えられている。たとえば第1巻は「霊主体従 子の巻」と呼ばれる。次のように計7輯から成る。
輯 | 巻 | 輯題 | 冊数 |
---|---|---|---|
1 | 第1~12巻 | 霊主体従(れいしゅたいじゅう) | 12冊 |
2 | 第13~24巻 | 如意宝珠(にょいほっしゅ) | 12冊 |
3 | 第25~36巻 | 海洋万里(かいようばんり) | 12冊 |
4 | 第37~48巻 | 舎身活躍(しゃしんかつやく) | 12冊 |
5 | 第49~60巻 | 真善美愛(しんぜんびあい) | 12冊 |
6 | 第61~72巻 | 山河草木(さんかそうもく) | 14冊(注) |
7 | 第73~81巻 | 天祥地瑞(てんしょうちずい) | 9冊 |
合計 | 83冊 |
(注)山河草木に巻外の特別篇として「入蒙記」が入っており、また第64巻が上・下の2冊あるので14冊になる。
山河草木の後は「千山万水(せんざんばんすい)」という輯題になる予定で第73巻と第74巻が口述された[5]。しかし第67巻が『王仁蒙古入記』と題して出版され、第71巻(現・第64巻下)が発禁となり2巻減ったため、第73・74巻は第71・72巻に改められ山河草木の中に収まった。
巻番号の変動
第66巻以降は、口述時の巻番号と出版時の巻番号に変動がある。これは第71巻(現・第64巻下)が発禁になったため巻番号を再編成したと思われる。
また、奥付の日付と、実際の発行日に大きな隔たりがある巻がある。これは印刷等の出版作業が遅れ気味だったため、計画当初の組版のまま印刷したのだと考えれば理解できる。
口述年月 | 口述時の巻番号 → | 初版の巻番号 | 初版発行の順序(丸数字)と年月 | 現在の巻番号 |
---|---|---|---|---|
大正12年5月 | 第61巻 → | 第61巻(子) | ②大正14年10月16日 | 第61巻 |
大正12年5月 | 第62巻 → | 第62巻(丑) | ④大正15年1月(奥付は大正14年10月16日)[注A 1] | 第62巻 |
大正12年5月 | 第63巻 → | 第63巻(寅) | ⑤大正15年2月 | 第63巻 |
大正12年7月 | 第64巻 → | 第64巻(卯) | ②大正14年10月16日[注A 2] | 第64巻上 |
大正12年7月 | 第65巻 → | 第65巻(辰) | ⑥大正15年4月[注A 3] | 第65巻 |
大正13年1月[注A 4] | 第66巻 → | 第69巻(申) | ⑩昭和2年10月 | 第69巻 |
大正13年12月 | 第67巻 → | 王仁蒙古入記 | ①大正14年2月 | - |
大正13年12月 | 第68巻 → | 第66巻(巳) | ⑦大正15年6月 | 第66巻 |
大正13年12月 | 第69巻 → | 第67巻(午) | ⑧大正15年8月 | 第67巻 |
大正14年1月 | 第70巻 → | 第68巻(未) | ⑨大正15年9月 | 第68巻 |
大正14年8月15日 | 王仁蒙古入記を改訂して入蒙記 | - | (出口王仁三郎全集(第6巻)に収録して昭和10年に発行) | 入蒙記 |
大正14年8月19~21日 | 第71巻 → | 第71巻(戌) | ③大正14年11月7日【11月6日に発禁】[注A 5] | 第64巻下 |
大正14年8月23~25日 | 第72巻 → | 第70巻(酉) | ⑪昭和3年4月(奥付は大正14年10月16日)[注A 6] | 第70巻 |
大正14年11月7日~15年2月 | 第73巻 → | 第71巻(戌) | ⑫昭和4年2月 | 第71巻 |
大正15年6月 | 第74巻 → | 第72巻(亥) | ⑬昭和4年4月 | 第72巻 |
【注A】
- ↑ 第62巻…『真如能光』大正15年(1926年)1月5日号「綾部だより」p46の12月31日の項に「霊界物語第六十二巻(山河草木丑の巻)出来」と記されている。
- ↑ 第64巻(現・第64巻上)…奥付は第61巻と同じく大正14年10月16日だが、『霊界物語資料篇』p307には大正13年4月5日発行と書いてある。
- ↑ 第65巻…奥付は大正15年4月14日だが、『霊界物語資料篇』p316には大正13年4月5日発行と書いてある。しかし『真如能光』大正15年(1926年)3月15日号「綾部だより」p48の3月9日の項に「霊界物語第二巻は目下再版中である、尚六十五巻も発行される事になりいづれも春季大祭(新四月十四日)迄には出来る予定です」と記されているので、『霊界物語資料篇』の記述は誤記である。
- ↑ 1月から12月まで長期間空いているが、蒙古に行ったためである。大正13年(1924年)2月に蒙古へ向けて旅立ち、7月に帰国、入監し、保釈されて帰綾したのは11月。
- ↑ 第71巻…11月6日午後2時に発行禁止と差押の命令が来た(『真如能光』第1号p86の告示、第2号p30による)。次の日には新たな第71巻となる第73巻の口述が開始されている。
- ↑ 第70巻…『真如能光』昭和3年(1928年)4月25日号「綾部だより」p31の4月17日の項に「霊界物語山河草木酉の巻(第七十巻)出来、納本す」と記されている。
通巻章番号の変動
巻番号が変動したため、通巻の章番号にも変動が生じている。当初は口述順で付けられた思われるが、第71巻(現・第64巻下)の発禁によって巻構成が再編成され、それに伴い通巻章番号も付け直されたのだと思われる。
第67巻(王仁蒙古入記→入蒙記)と第71巻(現在の第64巻下)が巻構成から除外されたため、61章減っている(1892→1831)。
第67巻は『王仁蒙古入記』と題して出版された後も、霊界物語の巻として刊行する予定だったらしく[6]、それを前提に第71巻(現・第64巻下)は通巻章番号1807~1828が付けられて刊行されたのだと思われる。発禁となり、大戦後に第64巻下として発行されたが[7]、通巻章番号はそのままとしたため、1807~1828は他の巻(第71~72巻)と重複することとなった。
口述時の巻番号 | 章の数 | 口述順で付けた場合の通巻章番号 | 初版の巻番号 | 発行順 | 発行時の通巻章番号 | 現在の巻番号 |
---|---|---|---|---|---|---|
第64巻 | 27 | 1630~1656 | 第64巻 | ② | 1630~1656 | 第64巻上 |
第65巻 | 26 | 1657~1682 | 第65巻 | ⑥ | 1657~1682 | 第65巻 |
第66巻 | 22 | 1683~1704 | 第69巻 | ⑩ | 1746~1767 | 第69巻 |
第67巻 | 39 | 1705~1743 | 王仁蒙古入記 | ① | なし | - |
第68巻 | 20 | 1744~1763 | 第66巻 | ⑦ | 1683~1702 | 第66巻 |
第69巻 | 22 | 1764~1785 | 第67巻 | ⑧ | 1703~1724 | 第67巻 |
第70巻 | 21 | 1786~1806 | 第68巻 | ⑨ | 1725~1745 | 第68巻 |
入蒙記 | 39 | ? | - | - | なし | 入蒙記 |
第71巻 | 22 | 1807~1828 | 第71巻【発禁】 | ③ | 1807~1828 | 第64巻下 |
第72巻 | 22 | 1829~1850 | 第70巻 | ⑪ | 1768~1789 | 第70巻 |
第73巻 | 20 | 1851~1870 | 第71巻 | ⑫ | 1790~1809 | 第71巻 |
第74巻 | 22 | 1871~1892 | 第72巻 | ⑬ | 1810~1831 | 第72巻 |
篇と章の数
霊界物語の篇の総数は369、章の総数は2108ある。
ただし通巻の章番号は2047(第81巻第20章)までしかない。これは入蒙記(39章)には通巻章番号が振られておらず、また第64巻下の通巻章番号(1807~1828の22章)が他の巻と重複しているからである。そのため 2047+39+22=2108 となる。(重複理由については「#巻番号の変動」の項を参照)
第7巻までは50章ずつで、第8巻から章の数が減っているが、第8巻序文#に「総じてこの霊界物語は、口述の最初に当り五百六十七節にて完成する考へを以て、一冊を五十節に刻み全十二冊の予定のところ、到底是にてはその一部分をも講了すべからざるを覚り、本巻よりは一冊五十章組の規定を破り、口の車の行き突きばつたりに歩を進むる事と致しました」と記されている。
巻 | 篇の数 | 章の数 |
---|---|---|
第1巻 | 5 | 50 |
第2巻 | 7 | 50 |
第3巻 | 12 | 50 |
第4巻 | 9 | 50 |
第5巻 | 7 | 50 |
第6巻 | 8 | 50 |
第7巻 | 9 | 50 |
第8巻 | 6 | 43 |
第9巻 | 5 | 37 |
第10巻 | 3 | 37 |
第11巻 | 5 | 29 |
第12巻 | 4 | 30 |
第13巻 | 5 | 24 |
第14巻 | 4 | 17 |
第15巻 | 4 | 23 |
第16巻 | 3 | 21 |
第17巻 | 3 | 17 |
第18巻 | 5 | 17 |
第19巻 | 4 | 17 |
第20巻 | 3 | 12 |
第21巻 | 4 | 18 |
第22巻 | 5 | 20 |
第23巻 | 4 | 18 |
第24巻 | 4 | 16 |
第25巻 | 5 | 19 |
第26巻 | 4 | 17 |
第27巻 | 5 | 18 |
第28巻 | 4 | 22 |
第29巻 | 4 | 20 |
第30巻 | 5 | 24 |
第31巻 | 4 | 25 |
第32巻 | 4 | 24 |
第33巻 | 4 | 26 |
第34巻 | 3 | 23 |
第35巻 | 3 | 24 |
第36巻 | 4 | 24 |
第37巻 | 4 | 25 |
第38巻 | 5 | 28 |
第39巻 | 5 | 19 |
第40巻 | 4 | 20 |
第41巻 | 4 | 21 |
第42巻 | 5 | 26 |
第43巻 | 5 | 18 |
第44巻 | 3 | 21 |
第45巻 | 4 | 20 |
第46巻 | 4 | 23 |
第47巻 | 3 | 21 |
第48巻 | 4 | 20 |
第49巻 | 4 | 20 |
第50巻 | 4 | 21 |
第51巻 | 4 | 21 |
第52巻 | 5 | 27 |
第53巻 | 4 | 23 |
第54巻 | 5 | 22 |
第55巻 | 4 | 22 |
第56巻 | 4 | 20 |
第57巻 | 3 | 25 |
第58巻 | 4 | 25 |
第59巻 | 4 | 25 |
第60巻 | 5 | 25 |
第61巻 | 5 | 25 |
第62巻 | 6 | 32 |
第63巻 | 5 | 22 |
第64巻上 | 5 | 27 |
第64巻下 | 4 | 22 |
第65巻 | 5 | 26 |
第66巻 | 4 | 20 |
第67巻 | 4 | 22 |
第68巻 | 5 | 21 |
第69巻 | 4 | 22 |
第70巻 | 3 | 22 |
第71巻 | 3 | 20 |
第72巻 | 3 | 22 |
入蒙記 | 5 | 39 |
第73巻 | 3 | 37 |
第74巻 | 3 | 26 |
第75巻 | 4 | 23 |
第76巻 | 3 | 15 |
第77巻 | 4 | 24 |
第78巻 | 4 | 25 |
第79巻 | 3 | 23 |
第80巻 | 3 | 23 |
第81巻 | 4 | 20 |
合計 | 369 | 2108 |
脚注
- ↑ 第37巻序#
- ↑ 木庭次守・編『霊界物語大辞典 総索引その1』p42:「出口聖師は口述開始の時に筆録者の一人の桜井重雄氏に「三界通覧」としょうかといわれていたが、「霊界物語」とさだめられた」
- ↑ 『水鏡』所収「霊界と神霊界」
- ↑ 12巻ごとを「輯」と呼ぶことは霊界物語中の数ヶ所に記されている。【例】第50巻序文#:霊界物語第一巻より第十二巻までを第一輯とし改めて「霊主体従」と題し、第十三巻より第廿四巻迄を「如意宝珠」と題し、第廿五巻より第卅六巻までを第三輯とし「海洋万里」と題し、第卅七巻より第四十八巻迄を第四輯とし「舎身活躍」と題し、第五輯に当る「真善美愛」と題せる物語を」、第48巻第9章「罪人橋」#:「此語字については霊界物語第二輯第三巻(第十五巻)第一天国と云ふ所に」
- ↑ 第71巻序文#:「山河草木の続篇として、更に十二巻を千山万水と命名して口述することに致します」
- ↑ 校定版のあとがき(昭和45年)に「出口聖師の入蒙記録は(略)「王仁蒙古入記」として大正十四年二月十四日蚕都新聞社から出版されたものです。 その後、霊界物語第六十七巻として発行される予定でしたが」とある。
- ↑ 第64巻と合冊して発行せよと王仁三郎の指示があった。
外部リンク
- <wp>霊界物語</wp>