筑紫の島
出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
筑紫の島(つくしのしま)は、霊界物語に登場する島。現代のアフリカ大陸のこと、また、その雛型である九州のこと。
概要
国
筑紫の島には次の4つの国がある[5] [4]。第7巻でそれぞれ次のように守護職が定められている。
国名 | 守護職 |
---|---|
熊襲の国 | 建日別(旧名・小島別)[6] |
火の国(肥の国) | 建日向別(旧名・八島別)[7] |
豊の国 | 豊日別(旧名・虎転別)[8] [9] |
筑紫の国 | 白日別(旧名・高照彦)[10] |
イホの国(現代のエジプトに相応)は筑紫の島に含まれないようである。[11]
4つの国の位置関係ははっきりしないが、九州における筑紫(筑前、筑後)、豊(豊前、豊後)、肥(肥前、肥後、日向)、 熊襲の位置関係から考えると、筑紫の国は北部、豊の国は東部、火の国は中部~西部、熊襲の国は南部に位置するのではないかと考えられる。
主なエピソード
筑紫の島は次の2ヶ所で舞台となる。
「筑紫」が付く言葉
「筑紫」の言霊解
第30巻附記 天津祝詞解#の「筑紫の日向」の説明の中で、次のように解説されている。
筑紫は「尽くし」「究極」「完全無欠」「円満具足」である。数で言えば「九」であり、筑紫が九州[14]に分かれているのはそのためである。筑紫や九州という地名が先に起こったのではなく、地名は後から付けられたもので、本来は筑紫も日向も天地創造の時からの語である。
古事記での筑紫の島
ナギ・ナミの国生みによって筑紫島が生まれる。身(み)一つで面(おも)四つ、即ち国が四つある。
「次に筑紫の島を生みたまひき。この島も身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ筑紫の国を白日別といひ、豊の国を豊日別といひ、肥の国を建日向日豊久士比泥別といひ、熊曽の国を建日別といふ。」(『新訂古事記』角川文庫)
その他
「筑紫」は霊界物語の中で、「心筑紫の」とか「誠筑紫の」というように、「尽くし」の語呂合わせ的に使われる場合も多々ある。
脚注
- ↑ 使用回数は、筑紫の島67回、筑紫島24回(島と嶋を問わず)、筑紫洲1回、筑紫の洲1回、アフリカ17回、亜弗利加19回、阿弗利加3回
- ↑ 第34巻序文#:「筑紫の島即ち亜弗利加国」
- ↑ 第6巻第25章「金勝要大神」#:「つぎに純世姫神をして、筑紫の守り神となさしめ給ひぬ。これを多計依姫といふ。筑紫の島とは現代の亜弗利加大陸なり」
- ↑ 4.0 4.1 第35巻第1章「言の架橋」#:「さうして此島は身一つにして面四つあり。火の国、豊の国、筑紫の国、熊襲の国と大山脈を以て区劃されてゐる。さうして島の過半は大沙漠を以て形作られてゐる」
- ↑ 第7巻第40章「三人奇遇」#:「この島は身一つに面四つあり、豊国、肥国、熊襲国、筑紫国と区別され居るなり。しかしてこの四つの国を総称して又筑紫の洲といふなり」
- ↑ 第7巻第28章「不思議の窟」#
- ↑ 第7巻第36章「豊日別」#。ただしそこでは「建日別」という記されているが、「建日向別」の間違いではないかと思われる。詳細は「火の国#住民」の「建日向別」の脚注を見よ
- ↑ 第7巻第40章「三人奇遇」#
- ↑ 第7巻第36章「豊日別」#
- ↑ 第7巻第46章「白日別」#
- ↑ 第12巻第2章「直会宴」#:「イホの都ものり越えて いよいよ筑紫の島に着く」:イホを越えたその向こう側に筑紫の島があると読める。
- ↑ 第7巻第23章「色良い男」#:船頭のセリフ「オイ、御客様、常世の国に行くつもりだつたが、お前達が仕様もない話をするものだから、さつぱり風が変つて了つたよ。これは如何しても一旦は、筑紫の島へ押流されにや仕方が無い」
- ↑ 第7巻第29章「山上の眺」#:日の出神のセリフ「船はあれ計りじやない、また次の船が来るよ。折角神様の御計らひで常世の国へ行く積りが、こンな処へ押し流されたのだから、何か深い神界の御都合があるのだらう」
- ↑ ここで言う九州とは、筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、大隅、薩摩の九つの国のことだと思われる。
外部リンク
- <wp>アフリカ</wp>
- <wp>アフリカ大陸</wp>
- <wp>九州</wp>