挙国更生運動
出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
挙国更生運動(きょこくこうせいうんどう)は、昭和7年から8年にかけて大本が行なった国民精神運動。
昭和7年(1932年)10月30日、大本瑞祥会の第8回主会大会で挙国更生運動などが決議された。
日本政府は同年9月初頭から「国民更生運動」を呼びかけていたが、それが経済的更生のみと解されていたのに対して、大本が説く「挙国更生運動」は、真の更生とは精神的更生が基本であり、それは神に目覚めることであるとした。
具体的運動として「挙国更生祈願神社参拝」を呼びかけた。これは各地の国魂神や産土神社に集団参拝し、講演会・座談会を催して、神に目覚めることを訴えたのである。
同年11月10日の国民精神作興詔書渙発記念日から始め、翌年2月の節分祭まで、大本・人類愛善会・昭和青年会が総がかりで運動が行われた。
参考文献
外部リンク
- <kb>農山漁村経済更生運動</kb>
- 『国民更生運動概況』内務省社会局社会部、昭和9年(1934年)3月 - 国立国会図書館デジタルコレクション