四尾山
四尾山(よつおやま)は、
本項では山としての四尾山について説明する。
概要
言霊の実習
大正8年(1919年)9月30日(旧8月7日)、王仁三郎は役員・信者を率いて四尾山の第二峰の頂上に登り、言霊の実習を行った。
神界の時機切迫と共に、言霊閣の建築完成し、弥々大本神の御経綸なる、言霊実用となり、第一着として、皇国の中心点なる世継王山に登り、王仁を先登に言霊の実験を遂げ、次いで浅野会長以下、各役員の言霊隊を組織して、近江国伊吹山、大和国大台ケ原山を始め、天之真奈井の竹生島に沖の島、日枝の坂本の宮に游与岐の弥仙山、肝川の割岩山等に出陣し、神軍の一大威力を示したるは、天地開闢以来未曾有の大神事で在りました。
旧八月七日、王仁一行、日本国の臍なる世継王山に昇り、言霊の実習を為す。太祓の奏上中、大雨巽方より襲い来る。忽ち白扇を披いて天津祝詞の太祝詞を高唱す。風伯雨師声に応じて東北に去る。
一九一九(大正八)年の九月三〇日、教主王仁三郎は役員・信者の一行をひきいて、綾部の世継王山第二峰の頂上にのぼり言霊の実習をした。それは臍下丹田からの力いっぱいの声で、天津のりと・大祓のりとを奏上し、ついで「アー、オー、ウー、エー、イー」と七五声の言霊をとなえあげるものである。これを言霊踏査隊の第一隊とした。
芦別山の国祖の神霊を奉迎
「聖師は昭和三年八月、北海道の芦別山より綾部の四尾山に国祖の神霊を奉迎される」〔新月の光0228「台湾」〕
永遠に御代を守らす大神のみあらかなれや芦別の山
芦別の山を立ち出で四王の峯にうつらす常立の神
芦別の山にはいかし四王の神山にやさし元津大神
芦別の山の尾根より四王の山につづける黄金橋はも
(出口王仁三郎第十一歌集『山と海』空知川二八九-二九○頁)
聖師は昭和三年八月二十六日旧七月十二日の誕生日を北海道で迎えられ、芦別山に隠退したまいし国常立尊の神霊を四王山に奉迎された。四尾山、世継王山とも称する