トーク:大本
出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
教団名について、大本神諭・筆先にいつから「おほもと」と出るか?
大本神諭に「おほもと」[1]という言葉が登場するのは明治29年旧12月2日の神諭[2]が初めてであり、次は明治31年旧5月5日と旧7月16日、頻繁に登場するようになるのは明治32年旧2月3日以降である[3] [4]。従って宗教名として「おほもと」と呼ばれるようになったのは早くても明治29年、おそらく王仁三郎が大本入りした明治32年以降のことではないかと考えられる。
脚注
- ↑ 「大本」とか「大元」という漢字が使われているが、その漢字は王仁三郎が当てはめたもの
- ↑ 大本神諭 明治29年旧12月2日#:「此大本へ立寄りて、神の御話を聞かして貰ふた人民だけなりと改心を致して」
- ↑ 大本神諭 明治25年1月の「初発の神諭」#や、大本神諭 年月日不明の神諭#にも「大本」という言葉が登場するが、前者は半紙に筆先が書かれる以前に出口直に伝達された神示を王仁三郎が想像して書いたものであり、後者も王仁三郎が作った可能性が高い(『神霊界』誌で大本神諭として一番最初に掲載された神諭)。それを除くと明治29年旧12月2日の神諭が「おほもと」が登場する最初の神諭となる。
- ↑ 大本神諭化されていない筆先に「おほもと」が登場しているかも知れないが、公開されていないので調べようがない。