神懸かり

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』

神懸かり(かみがかり、かんがかり[1])とは、神霊が人に憑依すること。帰神(きしん)・神懸(しんけん)・神憑(しんぴょう)の三種類ある。

帰神・神懸・神憑

簡潔に言うと、帰神とは主神の直接内流を受け主神と和合した状態。神懸とは主神の間接内流を受けた状態で、正神の神懸かり。神憑とは邪神の神懸かりである。

  • 帰神(きしん)は、主神直接内流を受けて、主神と和合する状態。「帰神」の意は、自分の精霊がその本源である主神の神格に帰一和合するということである。帰神した者は、最も霊界の真相を伝える予言者・伝達者である。[2]
  • 神懸(しんけん)は、霊国天人(エンゼル)が人間の精霊に降り来た状態である。主神間接内流ともいう。神界の消息をある程度まで人間界に伝達する。[3]
  • 神憑(しんぴょう)とは、邪霊が外部から人間の肉体に侵入して罪悪と虚偽を行わせる状態である。この邪霊を悪霊とか副守護神とも言う。偽予言者・偽救世主は、この副守護神が説き教える言葉を、尊い神だと信じている。またその副守護神自身も自らの言葉を尊い神の言葉だと信じている。神憑は、自愛と世間愛から来る凶霊が、世人を迷わし、主神の神格を毀損することになる。[4]
  • 王仁三郎の文献において、この三種の言葉が必ずしも使い分けされているわけではない。
    • 霊界物語の戦前の版では、三種の語が厳密に使い分けされていない。たとえば邪霊の「神懸り」だとか、正神の「神憑り」と表記されている。これは筆録や植字の段階で、三種の語の違いを意識しなかったのだと思われる。筆録者によって表記のクセがある可能性もある。同じ章の中で同じ出来事を指すのに「神懸り」と「神憑り」が混用されている場合もあるが、これは植字のミスだとも考えられる。聖師御校正本(戦前の版を使って王仁三郎が自筆で校正した本)を見ると、そもそも王仁三郎自身が校正の段階で三種の違いを訂正していない。
    • 戦後の普及版校定版では、三種の語の用法がおかしいような箇所では、適切な語に置き換えたり、平仮名で「神がかり」と表記したりしている。八幡書店版は原則として校定版と同じである。愛善世界社版聖師御校正本と同じであるが、聖師御校正本で三種の語が訂正されていないので、正神の「神憑り」というような表記が存在する。霊界物語ネットは愛善世界社版と同じである。【例】「#神懸かりのシーン」の第37巻第16章四郎狸#第37巻第20章仁志東#第37巻第24章神助#等の脚注を参照。
  • 「帰神」や「神懸」「神憑」と書いて「かみがかり」「かむがかり(かんがかり)」と読ませている場合もあるが、それは帰神も含めた総称としての「神懸かり」を指している場合も多い。
  • 霊界物語において帰神・神懸・神憑の違いが詳しく説明されているのは大正12年(1923年)1月に口述した第48巻第1章聖言#であるが、それ以前から、類似したことは説いている。
    • 神霊界』大正8年(1919年)8月1日号掲載「随筆#」:「自己の真心(しんしん)を発揮して、活用せしむるを帰神(きしん)と曰ふ。帰神は他神の憑依したものでない。他神の憑依したのを神懸(しんけん)又は神憑(しんぴょう)と云ふのである」

公憑・私憑

神懸を「公憑(こうひょう)」、神憑を「私憑(しひょう)」と呼ぶ場合もある。

神霊界』大正8年(1919年)10月15日号掲載「随筆#」:「亦た正守護神と云ふのに、公憑(こうへう)私憑(しへう)の二大別があります。公憑とは甲の肉体にも乙にも丙にも丁にも臨機応変的に憑依する神霊であり、私憑とは或る種の因縁を有する身魂、一人に限つて憑依する神霊を指すので在ります。正守護神なるものは要するに、他より来つて人の肉体を機関として、神界の経綸を助け且つ又本守護神の天職を輔弼する所の、善良なる神霊であります。而して公憑は神懸(かむがかり)と曰ひ私憑は神憑(かむがかり)と言ふのであります」

王仁三郎の神懸かり

王仁三郎長沢雄楯に神懸かりの修法を習ってから神懸かりになったのではない。王仁三郎が神懸かりになったのは7歳の時からである。

神霊界』大正8年(1919年)8月15日号掲載「随筆#」:「私は七歳の時から神憑(かんがかり)状態で、突然に身体が中空にとび上つたり、種々の予言をしたり、人の病気を直したり、人の知らぬ事を知つたり、里人からは不思議な子供じや、神つきじやとか、神童じやとか言はれたものでありました。私の郷里穴太の老人連中に御聞きに成れば事実が判ります」「(略)長沢氏に合ふたのである。そこで私の幼時からの帰神状態を話すると、始めて長沢氏が、それは神界から任命された真正の神憑りであつて、神界の御思召に依つて、貴下が茲ヘ御出に成つたのだと云はれました。私でさえも自分の帰神を神経病ではないかと疑がつて居た際、一見して正しき神憑じやと断言されたのが、私の非常に気に入つたので、長沢氏を師と仰ぐ事になつたのである。併し先生から授かつて、神憑りに成つたのではない。七歳の時からの神憑(かんがかり)であつたのである。其の証に、長沢氏より四月十六日、先生に逢つた翌日、直ぐに「鎮魂帰神の高等得業を証す」と云ふ辞令を頂いて、今に大切に保存して在ります」

修法

「神がかりの修養をなさむとせば、まづ第一に正食を励み、身体を強壮にし、身魂ともに爽快となりしとき、初めて至真、至美、至明、至直の神霊にたいし帰神の修業をなし、憑依または降臨を乞はねばならないのである」〔第5巻第14章審神者#

 神懸かりの修法は →「鎮魂帰神」「幽斎

神懸かりのシーン

霊界物語で登場人物が神懸かりするシーンは多数登場する。その主なものを記す。(偽の神懸かりも含む)

(下の引用文中にある「帰神」「神懸」「神憑」の語の用法は、前述(#帰神・神懸・神憑)した定義通りに使われているとは限らない)

関連項目

脚注

  1. 旧仮名遣いでは「かむがかり」
  2. 第48巻第1章聖言#:「而して人間の精霊が直接大元神即ち主の神(又は大神といふ)に向つて神格の内流を受け、大神と和合する状態を帰神といふのである。帰神とは、我精霊の本源なる大神の御神格に帰一和合するの謂である。故に帰神は大神の直接内流を受くるに依つて、予言者として最も必要なる霊界真相の伝達者である」
  3. 第48巻第1章聖言#:「次に大神の御神格に照らされ、知慧証覚を得、霊国に在つてエンゼルの地位に進んだ天人が、人間の精霊に降り来り、神界の消息を人間界に伝達するのを神懸といふ。又之を神格の間接内流とも云ふ。之も亦予言者を求めて其精霊を充たし、神界の消息を或程度まで人間界に伝達するものである」
  4. 第48巻第1章聖言#:「外部より人間の肉体に侵入し、罪悪と虚偽を行ふ所の邪霊がある。之を悪霊又は副守護神といふ。此情態を称して神憑といふ」「すべての偽予言者、贋救世主などは、此副守の囁きを人間の精霊自ら深く信じ、且憑霊自身も貴き神と信じ、其説き教へる所も亦神の言葉と、自ら自らを信じてゐるものである。すべてかくの如き神憑は自愛と世間愛より来る凶霊であつて、世人を迷はし且つ大神の神格を毀損すること最も甚しきものである」
  5. 第3巻第24章蛸間山の黒雲#:「ことに八頭神には前の国魂神憑依して」……帰神・神懸・神憑という言葉は使われていない。
  6. 初版・愛世版では「神憑」だが、校定版では「神懸」。
  7. 第16巻第17章谷の水#
  8. 「英子姫は(略)忽ち神霊に感じ」と書いてあるだけで、帰神・神懸・神憑という言葉は使われていない。
  9. 三版・愛世版では「神憑り」だが、校定版では「神懸り」。
  10. ここでは「神憑り」だが、他の章でこの出来事を説明している箇所では「神懸り」になっている。第22巻第15章情の鞭#:「初稚姫様は神懸状態に御成り遊ばし」、第22巻第18章布引の滝#:「つい今の先教主様は俄に神懸りにお成り遊ばして」。
  11. 三版・御校正本・愛世版は「神懸り」、校定版は「神憑り」。
  12. 第29巻第9章俄狂言#
  13. 第29巻第19章生霊の頼#:「マールは身体震動し(略)ウンウンウンと唸り出す 獅子狼か野天狗か 金毛九尾か曲鬼か 但野狐野狸か 姿勢の悪い神憑り(略)」「マールの身魂に神懸り 鷹依姫の生霊 ここに現はれ願ぎまつる」
  14. 第31巻第9章誤神託#:秋山別のセリフ「エヽ此奴ア偽神懸りをやつてやがるのだな。感覚を蕩尽し、意念を断滅した神懸りがモリスの都合の好い事を吐すと云ふのが怪しい」
  15. 第31巻第25章会合#言依別命の歌「神素盞嗚大神は はるばる浪路を打わたり イソの館を後にして 珍の御霊の宇都の国 現はれ来り宣たまはく 一日も早くアマゾンの 河に沿ひたる森林に 汝言依別神 二三の伴を引連れて 進めや進め早進め」
  16. 第32巻第15章万歳楽#末子姫の歌「此世を洗ふ瑞御霊 父大神の御言もて 捨子の姫の口を借り 宣らせ給ひし太祝詞 畏みまつりて言依別の 神の命は神館 立出で給ひ」
  17. 第32巻第16章回顧の歌#:言依別命の歌「時しもあれや素盞嗚の 神の尊ははるばると これの館に出でまして 捨子の姫に神懸り アマゾン河の曲神を 言向け和し救へよと 宣らせ給ひし言の葉を」
  18. 第32巻第18章竜国別#:竜国別の歌「アマゾン河に迷ひたる 吾等一行助けよと 神素盞嗚大神の 清き尊き神懸り 其御教を畏みて 自ら言依別神 帽子ケ岳に登りまし」
  19. 第33巻第7章心の色#:石熊の歌「神素盞嗚大神の いと厳かな神懸(かむがかり) アマゾン河に向ひたる 鷹依姫や高姫の 司を救ひて逸早く 珍の都に帰れよと 宣らせ玉ひし神言に 言依別の大教主 吾等四人を従へて 帽子ケ岳に向ひまし」
  20. 第34巻第3章障文句#:「孫公は、委細構はず神懸(かむがかり)となつたまま謡ひ続ける」
  21. 「静子が神憑(かむがかり)になつたので」
  22. 斎藤元市のセリフ「大霜さまの神懸りを一つ願うて下さいな」
  23. 斎藤宇一のセリフ「オイ喜楽、貴様の神懸りはサツパリ駄目だ。今度は糞を掴ましやがつただないか(略)今日限り神懸りは止めようぢやないか」
  24. 初版・愛世版では「帰神(きしん)」だが、校定版では「神懸(しんけん)」になっている。「帰神」だと小末に主神が降臨したことになってしまうので、校定版の編纂者が「神懸」に直したのではないかと思われる。
  25. 第37巻第17章狐の尾#:「高島ふみ子サンは驚いて、上装束をぬぎ、狐の尾を細帯で括つたまま、取るのを忘れて」
  26. 初版・愛世版では「神憑(しんぺう)」「神憑(かむがかり)」だが、校定版では「神懸(しんけん)」「神懸(かむがかり)」になっている。「神憑」だと悪霊の憑依ということになってしまうので、編纂者が「神懸」に直したのではないかと思われる。
  27. 初版・愛世版では「神懸(かむがか)り」だが、校定版では「神憑(かむがか)り」になっている。福島寅之助には邪霊が懸かるが、「神懸」だと正神の神懸かりということになってしまうので、編纂者が「神憑」に直したのではないかと思われる。
  28. 第63巻第16章諒解#玉国別のセリフ「初稚姫様の神懸してのお言葉によりまして、吾々も迷ひの夢が醒めました」