「伊都能売観音坐像」の版間の差分
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安置された当初は「瑞霊真如観音」と称えられた。<ref> | 安置された当初は「瑞霊真如観音」と称えられた。<ref>『[[新月の光]]』1251「赤子岩と平安石と天拝石」</ref> | ||
第二次大本事件で破壊されたが、瓦礫の中から発見され、顔が欠けた状態のまま元の位置に安置された。 | 第二次大本事件で破壊されたが、瓦礫の中から発見され、顔が欠けた状態のまま元の位置に安置された。 |
2018年11月21日 (水) 23:20時点における最新版
この項目では、月宮殿(現在は月宮宝座)の登り口にある伊都能売観音の坐像について説明しています。その他については「伊都能売観音像 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
伊都能売観音坐像(いづのめかんのんざぞう)は、天恩郷の月宮殿(現在は月宮宝座)の登り口の大石垣の上に安置された坐像。「聖観音像」とも呼ばれる。
安置された当初は「瑞霊真如観音」と称えられた。[1]
第二次大本事件で破壊されたが、瓦礫の中から発見され、顔が欠けた状態のまま元の位置に安置された。
略年表
- 大正15年(1926年)11月13日、王仁三郎は京都で坐像を購入。
- 同年11月14日、光照殿の前庭に仮安置される。
- 同年11月18日、月宮殿の登り口の大石垣の上に安置される。
- 同年11月20日、伊都能売の大神様の鎮座祭執行。
〔この年表は「大本年表」をもとに作成した(注記ある場合を除く)〕