「みろく殿」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''みろく殿'''(みろくでん)は、綾部の[[梅松苑]]にある神殿。昔、[[五六七殿]]が建っていた場所に、昭和27年に建てられた。([[五六七殿]]が「みろく殿」と表記される場合もある)
'''みろく殿'''(みろくでん)は、綾部の[[梅松苑]]にある神殿。昔、[[五六七殿]]が建っていた場所に、昭和27年に建てられた。


総建坪は約585坪、総工費は約4263万円。789畳敷き。<ref name="B195402c8211">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c8211|みろく殿の完成}}」</ref> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c8241|造営}}」</ref>
== 概要 ==
* [[五六七殿]]が「みろく殿」と表記される場合もある。
* 総建坪は約585坪、総工費は約4263万円。789畳敷き。<ref name="B195402c8211">『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c8211|みろく殿の完成}}」</ref> <ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c8241|造営}}」</ref>


== 略年表 ==
* 昭和25年(1950年)節分の頃、二代苑主([[出口澄子]])が、大きな建物が必要だと発意。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c7422|造営と祭事}}」</ref>
* 昭和25年(1950年)節分の頃、二代苑主([[出口澄子]])が、大きな建物が必要だと発意。<ref>『大本七十年史 下巻』「{{obc|B195402c7422|造営と祭事}}」</ref>
* 昭和26年(1951年)10月29日、開教六十年記念事業として、みろく殿の建設を決定。<ref name="oomoto_nenpyo">『[[大本年表]]』</ref>
* 昭和26年(1951年)10月29日、開教六十年記念事業として、みろく殿の建設を決定。<ref name="oomoto_nenpyo">『[[大本年表]]』</ref>

2018年11月3日 (土) 01:34時点における版

みろく殿(みろくでん)は、綾部の梅松苑にある神殿。昔、五六七殿が建っていた場所に、昭和27年に建てられた。

概要

  • 五六七殿が「みろく殿」と表記される場合もある。
  • 総建坪は約585坪、総工費は約4263万円。789畳敷き。[1] [2]

略年表

  • 昭和25年(1950年)節分の頃、二代苑主(出口澄子)が、大きな建物が必要だと発意。[3]
  • 昭和26年(1951年)10月29日、開教六十年記念事業として、みろく殿の建設を決定。[4]
  • 昭和27年(1952年)2月4日、地鎮祭。[4]
  • 同年11月18日、八分ほど完成したみろく殿で開教六十年大祭が行われる。[1]
  • 昭和28年(1953年)4月16日、みろく大祭の日に、みろく殿完成奉告祭が執り行われる。[4]

脚注