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2024年7月28日 (日) 18:34時点における版
人物の生没年の一覧。編集者用メモ。
注:明治5年(1872年)12月2日までは旧暦表記。[1]
- 出口直:天保7年12月16日(新1837年1月22日)生/大正7年(1918年)11月6日(旧10月3日)没/満81歳、数え83歳
- 出口王仁三郎:明治4年(1871年)7月12日(新8月27日)生/昭和23年(1948年)1月19日(旧12月9日)/満76歳、数え77歳
- 上田宇能:文化12年2月11日(新1815年3月21日)生[2]/明治34年(1901年)1月7日(旧11月17日)没/満85歳
- 上田世祢:昭和8年(1933年)6月20日没[3]
- 鶴殿親子:慶応2年(1866年)2月生[4]
- 仁科秀野(出口日出麿の生母)/明治9年(1876年)2月9日、倉敷生まれ/昭和38年(1963年)5月6日、倉敷にて没
- 藤原勇造(霊界物語の筆録者の一人)/明治12年(1879年)生/昭和59年(1984年)6月30日帰幽(105歳)[5]〕
- 外山豊二:大正14年(1925年)4月2日帰幽[6]
- 四方平蔵:昭和9年(1934年)7月6日帰幽[7]
- 加藤明子:昭和9年(1934年)7月8日帰幽(59歳)[8] [9]
- 松村真澄:昭和3年(1928年)3月3日 綾部で帰幽(49歳)[10] 大正15年(1926年)5月9日、大本の役員一切を退き社会事業に携わる[11]
- 桜井重雄(桜井八洲雄)/昭和44年(1969年)没 [12]
- 杭迫軍二:昭和63年(1988年)4月16日帰幽(87歳)[13]
- 岡本三典:大正6年(1917年)11月9日京都生まれ[14]、平成21年(2009年)6月23日帰幽
- 辻恵子:平成20年(2008年)7月2日帰幽
- 湯浅仁斎:明治3年(1870年)10月19日生、昭和24年(1949年)5月13日帰幽、81歳[15]
- 森良仁:昭和27年(1952年)5月7日帰幽[16]
- 三雲龍三:大正3年(1914年)12月27日生[17]/昭和20年(1945年)1月16日帰幽[18]
- 三雲益次郎(三雲龍三の実兄):明治43年(1910年)10月20日生[19]
- 星田悦子(ほしだえみこ):昭和2年(1927年)6月23日帰幽[20]
- 小竹松子(王仁三郎の従妹):昭和2年(1927年)10月28日帰幽[21]
- 倉田地久:平成3年(1991年)5月5日に帰幽。享年85歳。[22]
- 出口禮子(出口礼子):令和5年(2023年)5月23日[23]
脚注
- ↑ 改暦により旧暦の明治5年12月3日は新暦の明治6年1月1日となる。
- ↑ 『神の国』平成15年(2003年)1月号、出口和明(出口禮子)「落胤問題を実証する(二十)」p24
- ↑ 『大本年表』
- ↑ 『大地の母 第11巻』「山吹の花」
- ↑ 『綾の機』昭和59年(1984年)7月号p32
- ↑ 『大本年表』p94
- ↑ 『真如の光』昭和9年(1934年)7月25日号p20「東都の光」7月6日の項「四方平蔵氏帰幽の報あり」
- ↑ 『大本年表』p107
- ↑ 『真如の光』昭和9年(1934年)7月25日号p20「東都の光」7月8日の項「今春来関東別院にて療養中の加藤明子氏帰幽す」
- ↑ 『真如の光』3月15日号p40、『大本年表』p115
- ↑ 『大本年表』p103
- ↑ http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00266913
- ↑ 『大本襲撃』P301
- ↑ 『日月神示はなぜ岡本天明に降りたか』p.64
- ↑ 『出口王仁三郎の十年目の弟子』「発刊にあたって」
- ↑ 『神の国』昭和27年(1952年)6月号「聖都通信」
- ↑ 『三雲竜三神示と神一厘の仕組』p343
- ↑ 同書p346
- ↑ 『三雲竜三神示と神一厘の仕組』p340
- ↑ 『真如の光』昭和2年(1927年)7月5日号p42
- ↑ 『真如の光』昭和2年(1927年)11月5日号p24
- ↑ 『愛善苑』平成3年(1991年)6月号、46頁
- ↑ 帰幽『神の国』令和5年(2023年)7月号p41