「三千年実」の版間の差分
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植田は大阪在住。旧名・植田信司。昭和6年(1931年)26歳の時に大本に入信。[[出口日出麿]]から「朝成」と命名される<ref>本書p55</ref>(戸籍も改名)。 | 植田は大阪在住。旧名・植田信司。昭和6年(1931年)26歳の時に大本に入信。[[出口日出麿]]から「朝成」と命名される<ref>本書p55</ref>(戸籍も改名)。 |
2023年4月12日 (水) 16:33時点における版
三千年実(さんぜんねんみのる)は、植田朝成(うえだ ともなり、1905~1986年[1])の著書。
植田は大阪在住。旧名・植田信司。昭和6年(1931年)26歳の時に大本に入信。出口日出麿から「朝成」と命名される[2](戸籍も改名)。
概要
題名 | 三千年実 |
---|---|
副題 | 大本神業参加五十年体験記 |
著者・発行所 | 植田朝成 |
発行日 | 昭和56年(1981年)7月8日 |
頁数 | 246 |
定価 | 2,000円 |
OBN | OBN:1332 |
目次
- 『三千年実』によせて 出口京太郎
- はしがき
- 序にかえて
- p017/第一の神業参加
- ふるさと
- 大阪行
- 入隊──病魔
- 一人立ち
- 大本との邂逅
- 両聖地での大転換
- 荒波を乗りこえて
- 大本の躍進
- 大本事件の要因
- p075/第二の神業参加
- 大本弾圧事件
- 事件初頭の私
- その発端
- 神・幽・現の経綸
- 苦闘と……
- ……歓喜と誹謗
- 竜宮島・四国との結び
- 七福会への発展
- 日出麿先生との対座
- 第一審判決
- 死者は霊界へ
- 日米開戦と第二審判決
- 農園の聖師のもとへ
- 召集令状、徴用、終戦
- 事件解決──七福会の事証
- p175/第三の神業参加
- 聖師昇天・耀盌顕現
- 二代・三代教主のご光栄
- 二代教主の上天
- 神徳・人徳・家徳
- 世紀の祭典へ
- 七つの海を乗りこえて
- ワサ昇天
- 日出麿先生と一言主大神
- p237/あとがき
- p242/略年譜
脚注
- ↑ 生年は本書p22、帰幽年は『大本大阪本苑八十年誌』p521
- ↑ 本書p55