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いづとみづ版は少部数の発行であったが、それを新評論が写真入りの読みやすい形で発行してくれることになった。和明は、出口王仁三郎を中心に据えてその全生涯を描こうと思い、『出口王仁三郎』に改題した。と同時に、孫の和明としてではなく、一作家として取り組む覚悟で新しいペンネーム(十和田龍)を使うことにした。<ref>新評論刊『出口王仁三郎』「序文」</ref> | いづとみづ版は少部数の発行であったが、それを新評論が写真入りの読みやすい形で発行してくれることになった。和明は、出口王仁三郎を中心に据えてその全生涯を描こうと思い、『出口王仁三郎』に改題した。と同時に、孫の和明としてではなく、一作家として取り組む覚悟で新しいペンネーム(十和田龍)を使うことにした。<ref>新評論刊『出口王仁三郎』「序文」</ref> | ||
この新評論版は昭和60年(1985年)から刊行が開始されたが、出版社側の事情により<ref>文庫版『大地の母』第1巻巻頭「文庫本『大地の母』刊行にあたり」</ref>第6巻で中断してしまった。 | この新評論版は昭和60年(1985年)から刊行が開始されたが、出版社側の事情により<ref>文庫版『大地の母』第1巻巻頭「文庫本『大地の母』刊行にあたり」</ref>第6巻で中断してしまった。<ref>『[[神の国]]』平成5年(1993年)11月号p28-29「あいぜん出版版『大地の母』刊行にあたり」で著者の[[出口和明]]は「気骨のあった新評論社の社長の死により社の編集方針が大きく変わり、これまでの編集長が退社したことによる」と説明している。</ref> | ||
三つの版とも絶版になって久しく、再刊を望む声が寄せられたため、平成5年(1993年)に廉価で持ち運びやすい文庫本の『大地の母──実録出口王仁三郎伝』全12巻が[[あいぜん出版]](→[[みいづ舎]])から発刊された。 | 三つの版とも絶版になって久しく、再刊を望む声が寄せられたため、平成5年(1993年)に廉価で持ち運びやすい文庫本の『大地の母──実録出口王仁三郎伝』全12巻が[[あいぜん出版]](→[[みいづ舎]])から発刊された。 |
2022年3月22日 (火) 17:36時点における版
大地の母(だいちのはは)は、出口和明の著書。大本の草創期を描いた歴史長篇小説。出口直・王仁三郎の誕生から、出口直昇天直後の大正7年(1918年)年末までの出来事が記されている。昭和43年(1968年)から発表が開始された。
概要
何度か改稿されており、次の4つのバージョンがある。
- 毎日新聞社・刊『大地の母』全12巻、昭和44年(1969年)9月~46年12月 →「#毎日新聞社版」
- いづとみづ・刊『大地の母』全3巻、昭和57年(1982年)8月~58年12月、B5版 →「#いづとみづ版」
- 新評論・刊『出口王仁三郎』全6巻、昭和60年(1985年)8月~63年2月 →「#新評論版」
- あいぜん出版(→みいづ舎)・刊『大地の母──実録出口王仁三郎伝』全12巻、平成5年(1993年)~6年、文庫本 →「#みいづ舎版」
出版の経緯
昭和38年(1963年)9月、出口和明は「野上竜」というペンネームで書いた小説「兇徒」で「第二回オール読物推理小説新人賞」を受賞した。和明は長い間、大本教団の活動から離れていたが、祖父・王仁三郎のために何か貢献したいと思い、小説を書く能力を活かして王仁三郎を小説にして発表してみようと考えた。しかし大本のことをよく知らなかったので勉強するため、昭和43年(1968年)3月7日に大本本部を訪ねた。すると『おほもと』編集者の窪田英治と出会い、偶然にもちょうど二代教主(出口澄子)の伝記を和明に書いてもらいたいと告げられた。こうして出口澄子を主人公にした『大地の母』が『おほもと』昭和43年(1968年)6月号から連載され始めた。数回連載したところで毎日新聞社から出版の話が来て、単行本として刊行することになった。[1]
当初は、信徒から「大地の母」と慕われた二代教主・出口澄子を中心にしてその昇天までを描く予定で書き始め、題名もその呼び名から取った。しかし全12巻では収まりきれず、出口直の出生から昇天までの全生涯と、王仁三郎の前半生、また大本の開教から第一次大本事件前夜までの歴史だけで終わった。[2]
毎日新聞社版『大地の母』出版後、十数年の間に和明の思想に変化が生じた。中心軸を出口直から王仁三郎に変え、大幅に加筆訂正した『大地の母』を、株式会社いづとみづから発刊した。いづとみづ版は全3巻だが、サイズが大きく(B5版)頁数も多く、単行本4冊分を1冊にしたような文量がある。
いづとみづ版は少部数の発行であったが、それを新評論が写真入りの読みやすい形で発行してくれることになった。和明は、出口王仁三郎を中心に据えてその全生涯を描こうと思い、『出口王仁三郎』に改題した。と同時に、孫の和明としてではなく、一作家として取り組む覚悟で新しいペンネーム(十和田龍)を使うことにした。[3]
この新評論版は昭和60年(1985年)から刊行が開始されたが、出版社側の事情により[4]第6巻で中断してしまった。[5]
三つの版とも絶版になって久しく、再刊を望む声が寄せられたため、平成5年(1993年)に廉価で持ち運びやすい文庫本の『大地の母──実録出口王仁三郎伝』全12巻があいぜん出版(→みいづ舎)から発刊された。
毎日新聞社版
題名 | 大地の母 |
---|---|
著者 | 出口和明 |
発行所 | 毎日新聞社 |
OBN | OBN:127101~OBN:127112 |
- 第一巻 第一部第一 梅花一輪、昭和44年(1969年)、336頁
- 第二巻 第一部第二 立春の光、昭和44年(1969年)、357頁
- 第三巻 第一部第三 野の若竹、昭和44年(1969年)、349頁
- 第四巻 第一部第四 霊山の秘、昭和45年(1970年)、358頁
- 第五巻 第二部第一 狭霧の海、昭和45年(1970年)、333頁
- 第六巻 第二部第二 天雷の声、昭和45年(1970年)、341頁
- 第七巻 第二部第三 火水の戦、昭和45年(1970年)、341頁
- 第八巻 第二部第四 怒濤の響、昭和45年(1970年)、333頁
- 第九巻 第三部第一 丹波の曙、昭和46年(1971年)、354頁
- 第十巻 第三部第二 天下の秋、昭和46年(1971年)、338頁
- 第十一巻 第三部第三 東雲の風、昭和46年(1971年)、317頁
- 第十二巻 第三部第四 永久の道、昭和46年(1971年)、323頁
いづとみづ版
題名 | 大地の母 |
---|---|
著者 | 出口和明 |
発行所 | いづとみづ |
定価 | 各巻 8,000円 |
OBN | OBN:132401~OBN:132403 |
- 上の巻、昭和57年(1982年)8月7日、663頁
- 中の巻、昭和58年(1983年)5月5日、707頁
- 下の巻、昭和58年(1983年)12月8日、760頁
新評論版
題名 | 出口王仁三郎 |
---|---|
著者 | 十和田龍 |
発行所 | 新評論 |
OBN | OBN:134301~OBN:134306 |
- 第一巻 青春の詩篇、昭和60年(1985年)7月発行、321頁
- 第二巻 地獄の釜篇、昭和60年(1985年)10月発行、333頁
- 第三巻 鬼門の金神篇、昭和61年(1986年)3月発行、311頁
- 第四巻 蛟竜の池篇、昭和61年(1986年)7月発行、317頁
- 第五巻 火水の戦篇、昭和62年(1987年)8月発行、301頁
- 第六巻 砂上の城篇、昭和63年(1988年)2月発行、307頁
みいづ舎版
題名 | 大地の母 |
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副題 | 実録出口王仁三郎伝 |
著者 | 出口和明 |
発行所 | あいぜん出版(現在はみいづ舎から発行) |
OBN | OBN:138901~OBN:138912 |
- 第一巻 青春の詩、平成5年(1993年)12月8日、365頁
- 第二巻 霊山の秘、平成5年(1993年)12月22日、392頁
- 第三巻 地獄の釜、平成5年(1993年)12月28日、397頁
- 第四巻 立春の光、平成6年(1994年)1月12日、391頁
- 第五巻 蛟龍の池、平成6年(1994年)1月17日、350頁
- 第六巻 天雷の声、平成6年(1994年)1月25日、383頁
- 第七巻 火水の戦、平成6年(1994年)2月16日、349頁
- 第八巻 怒濤の響、平成6年(1994年)2月8日、349頁
- 第九巻 丹波の曙、平成6年(1994年)2月16日、383頁
- 第十巻 九尾の狐、平成6年(1994年)3月6日、399頁
- 第十一巻 天下の秋、平成6年(1994年)3月16日、413頁
- 第十二巻 永久の道、平成6年(1994年)3月30日、415頁