「大本教事件の全貌」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''大本教事件の全貌'''(おおもときょうじけんのぜんぼう)は、[[毎日新聞社]]の出版物。[[第二次大本事件]]が発生した直後に発行し、検挙の様子や大本教団の実情を報じた。
'''大本教事件の全貌'''(おおもときょうじけんのぜんぼう)は、[[毎日新聞社]]の出版物。昭和10年(1935年)発行。[[第二次大本事件]]の検挙の様子や大本教団の実情を報じている。


大阪毎日(大毎)の記者は「偶然の機会から」<ref>本書p2</ref>大本検挙があることを知り、二日前の12月6日の夜から特高課長([[杭迫軍二]])の官舎を張り付いていた。そのため検挙をリアルタイムに取材したドキュメンタリーになっている。
大阪毎日(大毎)の記者は「偶然の機会から」<ref>本書p2</ref>大本検挙があることを知り、二日前の12月6日の夜から特高課長([[杭迫軍二]])の官舎を張り付いていた。そのため検挙をリアルタイムに取材したドキュメンタリーになっている。
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== 外部リンク ==
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== 脚注 ==
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2022年3月14日 (月) 01:11時点における版

大本教事件の全貌(おおもときょうじけんのぜんぼう)は、毎日新聞社の出版物。昭和10年(1935年)発行。第二次大本事件の検挙の様子や大本教団の実情を報じている。

大阪毎日(大毎)の記者は「偶然の機会から」[1]大本検挙があることを知り、二日前の12月6日の夜から特高課長(杭迫軍二)の官舎を張り付いていた。そのため検挙をリアルタイムに取材したドキュメンタリーになっている。

概要

題名 大本教事件の全貌
副題 付 第一次検挙[2]の予審調書
著者・発行所 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社[3]
発行日 昭和10年(1935年)12月20日
頁数 50
定価 10銭
OBN OBN:1230
備考

目次

  • 皇道大本教大検挙記
    • p01/一、 検察当局の苦心
    • p07/二、 警官隊丹羽に向ふ
    • p10/三、 一斉検索始まる
    • p11/四、 捕はれた王仁三郎
    • p12/五、 驚くべき不敬事実
  • 大本の殿堂をゑがく
    • p14/六、 大本の発生
    • p16/七、 出口家の家系
    • p18/八、 大本の成長
    • p20/九、 大本の教義
    • p20/十、 第一次大本事件
    • p24/十一、 王仁三郎の裸像
    • p26/十二、 再生後の大本
    • p30/十三、 大本の祭祀
    • p31/十四、 大本の組織
    • p33/十五、 大本の外廓団体
  • p37/第一次検挙[2]の予審調書抜萃
  • p49/当時の総指揮官藤沼庄平[4]氏の思出話

外部リンク

脚注

  1. 本書p2
  2. 2.0 2.1 大正10年の第一次大本事件のこと。
  3. 両新聞は昭和17年(1942年)に題号を「毎日新聞」に統一した。
  4. 藤沼庄平第一次大本事件当時の京都府警察部長。