「昭和 (機関誌)」の版間の差分

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* 昭和5年(1930年)5月に創刊。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5132|本部の体制}}」</ref>
* 昭和5年(1930年)5月に創刊。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5132|本部の体制}}」</ref>
* 『会友』が『昭和青年』に改題され創刊された。<ref>『昭和青年』昭和5年(1930年)5月号の表紙に「会友改題」と書いてある。</ref>
* 機関誌は当初はガリ版刷りの粗末なものだったが、3号目から王仁三郎の資金補助で印刷出版されるようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5211|人類愛善と青年の動き}}」</ref>
* 機関誌は当初はガリ版刷りの粗末なものだったが、3号目から王仁三郎の資金補助で印刷出版されるようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5211|人類愛善と青年の動き}}」</ref>
* 昭和7年(1932年)12月号から「[[昭和]]」と改題。[[昭和坤生会]]が発会(昭和7年11月)してからは女性向きの記事もかなり掲載されるようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5423|文書宣伝}}」</ref>
* 昭和7年(1932年)12月号から「[[昭和]]」と改題。[[昭和坤生会]]が発会(昭和7年11月)してからは女性向きの記事もかなり掲載されるようになった。<ref>『[[大本七十年史]] 下巻』「{{obc|B195402c5423|文書宣伝}}」</ref>

2021年2月4日 (木) 00:19時点における版

昭和青年(しょうわせいねん)は、昭和青年会の機関誌。

  • 昭和5年(1930年)5月に創刊。[1]
  • 『会友』が『昭和青年』に改題され創刊された。[2]
  • 機関誌は当初はガリ版刷りの粗末なものだったが、3号目から王仁三郎の資金補助で印刷出版されるようになった。[3]
  • 昭和7年(1932年)12月号から「昭和」と改題。昭和坤生会が発会(昭和7年11月)してからは女性向きの記事もかなり掲載されるようになった。[4]

脚注