「昭和25年年末火災事件」の版間の差分
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この火災により事務所に保管されていた貴重な文献・資料が多数焼失し、<b> | この火災により事務所に保管されていた貴重な文献・資料が多数焼失し、<b>霊界物語の[[聖師御校正本]]も、第1巻、第2巻、第27巻の3冊が焼失してしまった。</b> | ||
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「昔から明け方の火事は日の出の火事といって、芽出たいものとされている。いよいよこのお道も焼け太って栄えてゆく」<br> | 「昔から明け方の火事は日の出の火事といって、芽出たいものとされている。いよいよこのお道も焼け太って栄えてゆく」<br> | ||
と言って、幹部や信徒をあたたかく励ました。また、<br> | と言って、幹部や信徒をあたたかく励ました。また、<br> |
2013年4月13日 (土) 11:05時点における版
大本が「大本愛善苑」を名乗り出口澄子が2代苑主をしていた時代の昭和25年(1950年)12月31日午前2時半頃[1]、天恩郷の本部事務所(183坪)から出火して全焼するという事件が起こった。
このため事務所は東光館に移された。
この火災により事務所に保管されていた貴重な文献・資料が多数焼失し、霊界物語の聖師御校正本も、第1巻、第2巻、第27巻の3冊が焼失してしまった。
当時の総長・出口伊佐男はジュネーブの世界憲法制定会議に出席のため渡欧しており、留守役の本部役員・奉仕者は一時悄然としたが、苑主の澄子は、
「昔から明け方の火事は日の出の火事といって、芽出たいものとされている。いよいよこのお道も焼け太って栄えてゆく」
と言って、幹部や信徒をあたたかく励ました。また、
「年の瀬につみもけがれも吹きはらいひの出むかえて祝う卯のはる」
と歌を詠んで、火災事件を宣り直した。
脚注
- ^ 31日の早朝であるため、「30日の深夜」という表現がなされる場合もある。