「黄泉島」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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*{{rm|12|27|航空船}}で、海中に沈没してしまう。
*{{rm|12|27|航空船}}で、海中に沈没してしまう。
**毎日地震で20~30間(40~50メートル)ずつ地面が沈んで行った。
**毎日地震で20~30間(40~50メートル)ずつ地面が沈んで行った。
**ウラル彦はアーメニヤから黄泉島に本拠地を移動させている。黄泉島が海に沈む理由として、祝部神は「曲津神の棲む黄泉島はどうしても、海中に沈めてしまわねばならぬのだ」と言っている。
**[[ウラル彦]]は[[アーメニヤ]]から黄泉島に本拠地を移動させた。黄泉島が海に沈む理由として、[[祝部神]]は「[[曲津神]]の棲む黄泉島はどうしても、海中に沈めてしまわねばならぬのだ」と言っている。


==ムー大陸==
==ムー大陸==

2013年4月6日 (土) 02:14時点における版

黄泉島(よもつじま)(黄泉の島、よもつのしま)は、霊界物語に登場する島。ムー大陸に相応する。

主な登場場面

|64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第12巻 }}第27章]]{{#if:航空船|「航空船」}}{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z27|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=027|#default=27 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #で、海中に沈没してしまう。

    • 毎日地震で20~30間(40~50メートル)ずつ地面が沈んで行った。
    • ウラル彦アーメニヤから黄泉島に本拠地を移動させた。黄泉島が海に沈む理由として、祝部神は「曲津神の棲む黄泉島はどうしても、海中に沈めてしまわねばならぬのだ」と言っている。

ムー大陸

ムー大陸の存在は19世紀後半に米国の作家ジェームズ・チャーチワード等によって主張された。 チャーチワードの説によると、ムー大陸の大きさは東西に8000キロ、南北に5000キロあるという。

出口王仁三郎は、大正11年(1922年)2月18日に書いた霊界物語[[{{#switch:9 |64a=第64巻上 |64b=第64巻下 |nm=入蒙記 |第9巻 }}総説歌]]{{#if:|頁}}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}{{#switch:z0003|z1|z2|z3|z4|z5|z6|z7|z8|z9=00003|#default=0003 }}{{#if:{{#if:| }}|&mka={{#if:| }} }}{{#if:{{#if: | }} |-{{#if: | }} }}{{#if:{{#if:| }}|#{{#if:| }} }} #で、次のように記している。

赤道直下に雪が降り  太平洋の真中に
縦が二千と七百浬   横が三千一百浬
黄泉の島や竜宮城   訳のわからぬことばかり

1浬(海里)≒1.852キロメートルで計算すると、横(東西)3100浬は約5741キロメートル、縦(南北)2700浬は約5000キロメートルになる。

王仁三郎がムー大陸のことを知ったのは、昭和7年(1932年)10月頃だと思われる。大阪毎日新聞でムー大陸の記事を読んだのが初めてだと思われる。
その記事を見て「ムー大陸は霊界物語に書いてある黄泉島のことである」と発言している。[[{{#ifexpr:561 < 250 |水鏡 |{{#ifexpr:561 < 462 |月鏡|玉鏡}} }}]]{{#if:「ム」大陸は黄泉島 |「「ム」大陸は黄泉島」 }}{{#if:|/ }}{{#if:|- }}}}|&mka={{#if:|{{{3}}} }} }}{{#if:{{#if:|{{{4}}} }} |-{{#if:|{{{4}}} }} }}{{#if:{{#if:|{{{3}}} }}|#{{#if:|{{{3}}} }} }} #

『新月の光』「大地の変遷(黄泉島とハワイ)」には次のことが記されている。

  • 黄泉島は数万年前に沈没した。(チャーチワードの説だと約1万2千年前)
  • 非常に文化が発達していたので運河が掘ってあった。それが太平洋に大きな溝になって残っている。
  • 南洋諸島やハワイは、黄泉島の固い部分が残ったもの。