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出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''鬼三郎'''(きさぶろう、おにさぶろう)は、[[出口王仁三郎]]が用いた名前の一つ。
'''鬼三郎'''(きさぶろう、おにさぶろう)は、[[出口王仁三郎]]が用いた名前の一つ。


明治31年([[1898年]])[[上田喜三郎]](王仁三郎の本名)は[[高熊山修業]]の後、[[斉藤仲一]]宅に教会場を設けて、布教や[[幽斎]]の研究を行っていた。
明治31年([[1898年]])[[上田喜三郎]](王仁三郎の幼名)は[[高熊山修業]]の後、[[斉藤仲一]]宅に教会場を設けて、布教や[[幽斎]]の研究を行っていた。


ある日、密かに[[出修]]に行けとの神示があった。そこで斉藤だけに話して、母には心配しないようにと書き置きを残して出かけた。この書き置きに、ふと「鬼三郎」と署名した。「鬼」は喜三郎の「キ」と音が通じるため、「きさぶろう」と読んでもよいと思ったのである。
ある日、密かに[[出修]]に行けとの神示があった。そこで斉藤だけに話して、母には心配しないようにと書き置きを残して出かけた。この書き置きに、ふと「鬼三郎」と署名した。「鬼」は喜三郎の「キ」と音が通じるため、「きさぶろう」と読んでもよいと思ったのである。

2013年4月5日 (金) 21:15時点における版

鬼三郎(きさぶろう、おにさぶろう)は、出口王仁三郎が用いた名前の一つ。

明治31年(1898年上田喜三郎(王仁三郎の幼名)は高熊山修業の後、斉藤仲一宅に教会場を設けて、布教や幽斎の研究を行っていた。

ある日、密かに出修に行けとの神示があった。そこで斉藤だけに話して、母には心配しないようにと書き置きを残して出かけた。この書き置きに、ふと「鬼三郎」と署名した。「鬼」は喜三郎の「キ」と音が通じるため、「きさぶろう」と読んでもよいと思ったのである。

後に開祖筆先で「おにさぶろう」と命名されたので名前を「王仁三郎」と改めた。

参考文献