「月の輪台」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
18行目: | 18行目: | ||
上の38の辺り、下の24の辺りが月の輪台。 | 上の38の辺り、下の24の辺りが月の輪台。 | ||
上29 瑞祥閣 | *上29 瑞祥閣 | ||
上37 みろく塔 | *上37 みろく塔 | ||
上33 大祥殿 | *上33 大祥殿 | ||
下17 瑞祥館 | *下17 瑞祥館 | ||
下23 二代教主歌碑 | *下23 二代教主歌碑 | ||
下22 照明館 | *下22 照明館 | ||
== 参考文献 == | == 参考文献 == |
2014年3月14日 (金) 02:28時点における版
大正時代に天恩郷の整備を始めた際に、王仁三郎は一番最初に月の輪台を築造した。大正14年(1925年)3月22日完成。
これは霊国における月照山に相応するもので、同年4月25日にはそこに月照山の御神体として「みろく塔」が建設された。13階層の石塔で高さ6.66m(約2丈2尺)。塔の台石には四天使の像が彫られていた。
第二次大本事件で破壊されたが、戦後王仁三郎は天恩郷の再建に当たり、やはり月の輪台の築造から開始した。昭和21年(1946年)8月26日、完成。
月の輪台の新旧比較
上の地図が戦前(昭和10年12月現在)、下が戦後。
上の38の辺り、下の24の辺りが月の輪台。
- 上29 瑞祥閣
- 上37 みろく塔
- 上33 大祥殿
- 下17 瑞祥館
- 下23 二代教主歌碑
- 下22 照明館
参考文献
- 『大本七十年史 上』P808
- 『大本七十年史 下』P745