「殿山」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''殿山'''(とのやま)は、亀岡の[[小幡神社]]の南西部に隣接する丘陵のこと。標高167m。[[高熊山]](丁塚山)と峰続きになっている。戦国時代の穴太城の遺跡がある。
'''殿山'''(とのやま)は、亀岡の[[小幡神社]]の南西部に隣接する丘陵のこと。標高167m。[[高熊山]](丁塚山)と峰続きになっている。戦国時代の穴太城の遺跡がある。


[[霊界物語]]では{{rm|37|8|梟の宵企}}に1回だけ出て来る。「体の動くままに任して居ると、何時の間にか産土の社の傍の殿山と云ふ、小さい丘の山に導かれて居る」。この後、[[喜楽]]に[[大霜天狗]]が懸かり自問自答している。
[[霊界物語]]では{{rm|37|8|梟の宵企}}に1回だけ出て来る。「体の動くままに任して居ると、何時の間にか産土の社の傍の'''殿山'''と云ふ、小さい丘の山に導かれて居る」。この後、[[喜楽]]に[[大霜天狗]]が懸かり自問自答している。


また「[[故郷の二十八年]]」によると、文明年間(室町時代の1469~1486年)に上田家の先祖は「西山の山麓、高尾」という場所に大きな高い殿閣を建て、そこに百年余り、高屋長者と呼ばれて住居していた。その後、穴太の[[愛宕山]]の麓の小さな丘に城郭を構えて大名となっていたが、[[明智光秀]](1582年没)によって没収されてしまった。そこが今は「殿山」と呼ばれている。<ref>[[出口王仁三郎著作集]]第五巻[http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195305c103 「生いたちの記」]</ref>
また「[[故郷の二十八年]]」によると、文明年間(室町時代の1469~1486年)に上田家の先祖は「西山の山麓、高尾」という場所に大きな高い殿閣を建て、そこに百年余り、高屋長者と呼ばれて住居していた。その後、穴太の[[愛宕山]]の麓の小さな丘に城郭を構えて大名となっていたが、[[明智光秀]](1582年没)によって没収されてしまった。そこが今は「殿山」と呼ばれている。<ref>[[出口王仁三郎著作集]]第五巻[http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195305c103 「生いたちの記」]</ref>

2018年5月23日 (水) 06:57時点における最新版

殿山(とのやま)は、亀岡の小幡神社の南西部に隣接する丘陵のこと。標高167m。高熊山(丁塚山)と峰続きになっている。戦国時代の穴太城の遺跡がある。

霊界物語では第37巻第8章梟の宵企#に1回だけ出て来る。「体の動くままに任して居ると、何時の間にか産土の社の傍の殿山と云ふ、小さい丘の山に導かれて居る」。この後、喜楽大霜天狗が懸かり自問自答している。

また「故郷の二十八年」によると、文明年間(室町時代の1469~1486年)に上田家の先祖は「西山の山麓、高尾」という場所に大きな高い殿閣を建て、そこに百年余り、高屋長者と呼ばれて住居していた。その後、穴太の愛宕山の麓の小さな丘に城郭を構えて大名となっていたが、明智光秀(1582年没)によって没収されてしまった。そこが今は「殿山」と呼ばれている。[1]

脚注

外部リンク