「史談会速記録」の版間の差分
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昭和46年(1971年)から51年にかけて原書房から「複製版」(復刻版)が刊行された。第395輯までが、44冊に合本されている。 | 昭和46年(1971年)から51年にかけて原書房から「複製版」(復刻版)が刊行された。第395輯までが、44冊に合本されている。 | ||
大正4年(1915年)12月発行の第274輯(合本37)に「旭形亀太郎の経歴及蛤御門の騒擾」と題して、明治31年(1898年)10月8日に[[旭形亀太郎]]から聞き取った談話が収録されている。 | 大正4年(1915年)12月発行の第274輯(合本37)に「旭形亀太郎の経歴及蛤御門の騒擾」と題して、明治31年(1898年)10月8日に[[旭形亀太郎]]から聞き取った談話が収録されている。<ref>第274輯の24~68頁。合本37の350~394頁。</ref> | ||
大本に関係することが何か記されているわけではない。『[[たまほこのひ可里]]』関連の文献である。 | 大本に関係することが何か記されているわけではない。『[[たまほこのひ可里]]』関連の文献である。 |
2024年10月30日 (水) 06:26時点における最新版
史談会速記録(しだんかい そっきろく)は、幕末・維新の証言録。明治初期に発足した「史談会」が関係者から聞き取り調査を行った膨大な量の記録。全411輯あり、明治25年(1892年)から昭和13年(1938年)にかけて順次出版された[1]。
明治21年(1888年)7月、宮内省から島津・毛利・山内・徳川の4家に対して、ペリー来航の嘉永6年(1853年)から廃藩置県の明治4年(1871年)までの国事史料の調査・編纂が命じられたことを機に、三条・岩倉・中山の3家を加えた7家の編集委員によって「史談会」は設立された[1]。
昭和46年(1971年)から51年にかけて原書房から「複製版」(復刻版)が刊行された。第395輯までが、44冊に合本されている。
大正4年(1915年)12月発行の第274輯(合本37)に「旭形亀太郎の経歴及蛤御門の騒擾」と題して、明治31年(1898年)10月8日に旭形亀太郎から聞き取った談話が収録されている。[2]
大本に関係することが何か記されているわけではない。『たまほこのひ可里』関連の文献である。