「菊水旅館」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
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'''菊水旅館'''(きくすいりょかん)は、奈良にある旅館で、[[霊界物語]]の校正地の一つ。
'''菊水旅館'''(きくすいりょかん)は、奈良にある旅館で、[[霊界物語]]の校正地の一つ。
[[ファイル:菊水楼1.jpg||thumb||菊水楼の表門]]
[[ファイル:菊水楼2.jpg||thumb||菊水楼]]
[[ファイル:菊水楼3.jpg||thumb||右側が菊水楼 道路の奥に春日大社の鳥居が見える]]
[[ファイル:菊水楼4.jpg||thumb||奈良市教育委員会の看板]]


昭和10年(1935年)2月17日、[[王仁三郎]]は奈良の菊水旅館で、[[第6巻]]第40章から第50章までを校正した。
昭和10年(1935年)2月17日、[[王仁三郎]]は奈良の菊水旅館で、[[第6巻]]第40章から第50章までを校正した。
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[[王仁三郎]]は2月9日から近畿各地の昭和神聖会の発会式に臨席したが、17日は奈良支部の発会式に臨席している。その際に校正したと思われる。<ref>「[[大本年表]]」2月9日の項。</ref> <ref>『[[真如能光]]』昭和10年(1935年)3月号「昭和神聖運動 総本部日記」p17「二月十七日 統管臨席の下に奈良支部発会式挙行」。</ref>
[[王仁三郎]]は2月9日から近畿各地の昭和神聖会の発会式に臨席したが、17日は奈良支部の発会式に臨席している。その際に校正したと思われる。<ref>「[[大本年表]]」2月9日の項。</ref> <ref>『[[真如能光]]』昭和10年(1935年)3月号「昭和神聖運動 総本部日記」p17「二月十七日 統管臨席の下に奈良支部発会式挙行」。</ref>


この旅館はおそらく奈良市の春日大社の鳥居前にある「菊水楼(きくすいろう)」(明治初年に創業)ではないかと思われる。
この旅館はおそらく奈良市の[[春日大社]]の鳥居前にある「菊水楼(きくすいろう)」(明治24年開業<ref>奈良市教育委員会の看板による</ref>)ではないかと思われる。


2月17日に菊水旅館で「神鹿の数多遊べる春日神社神苑内の清々しきかな」という歌を詠んでおり、第6巻の余白歌として掲載された。<ref>『霊界物語資料篇』p478</ref>
2月17日に菊水旅館で「神鹿の数多遊べる春日神社神苑内の清々しきかな」という歌を詠んでおり、第6巻の余白歌として掲載された。<ref>『霊界物語資料篇』p478</ref>
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [https://www.kikusuiro.com/](菊水楼 公式サイト)
* https://www.kikusuiro.com/ (菊水楼 公式サイト)


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[[Category:霊界物語の校正地]]
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2019年3月16日 (土) 09:08時点における最新版

菊水旅館(きくすいりょかん)は、奈良にある旅館で、霊界物語の校正地の一つ。

菊水楼の表門
菊水楼
右側が菊水楼 道路の奥に春日大社の鳥居が見える
奈良市教育委員会の看板

昭和10年(1935年)2月17日、王仁三郎は奈良の菊水旅館で、第6巻第40章から第50章までを校正した。

王仁三郎は2月9日から近畿各地の昭和神聖会の発会式に臨席したが、17日は奈良支部の発会式に臨席している。その際に校正したと思われる。[1] [2]

この旅館はおそらく奈良市の春日大社の鳥居前にある「菊水楼(きくすいろう)」(明治24年開業[3])ではないかと思われる。

2月17日に菊水旅館で「神鹿の数多遊べる春日神社神苑内の清々しきかな」という歌を詠んでおり、第6巻の余白歌として掲載された。[4]

脚注

  1. 大本年表」2月9日の項。
  2. 真如能光』昭和10年(1935年)3月号「昭和神聖運動 総本部日記」p17「二月十七日 統管臨席の下に奈良支部発会式挙行」。
  3. 奈良市教育委員会の看板による
  4. 『霊界物語資料篇』p478

外部リンク