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切紙神示は大本内において広く知られていたわけではない。『[[大本七十年史]]』では第一次大本事件前の宣伝状況を説明する中で、次のように切紙神示(紙切り宣伝)について短く言及されているだけである。〈しかし、ここで注意しておかねばならぬことがある。それは、この時期の宣教内容が、立替えのために社会の争乱や飢饉・疫病や天変地異、さらに日本対世界の大戦がおこり、地球の大掃除があったのち、新世界が出現するといっだ漠然たる予言と警告だけではなく、その主張がいよいよ具体性をおびてきていることである。それには'''紙切り宣伝'''をも応用し、立替えのてはじめに『古事記』の黄泉比良坂のたたかい、またキリスト教のいうハルマゲドンのたたかいとして、日本とアメリカの大戦争が眼前にせまっていると強調された〉<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c3131|日米戦争の予言}}」545頁</ref>。 | 切紙神示は大本内において広く知られていたわけではない。『[[大本七十年史]]』では第一次大本事件前の宣伝状況を説明する中で、次のように切紙神示(紙切り宣伝)について短く言及されているだけである。〈しかし、ここで注意しておかねばならぬことがある。それは、この時期の宣教内容が、立替えのために社会の争乱や飢饉・疫病や天変地異、さらに日本対世界の大戦がおこり、地球の大掃除があったのち、新世界が出現するといっだ漠然たる予言と警告だけではなく、その主張がいよいよ具体性をおびてきていることである。それには'''紙切り宣伝'''をも応用し、立替えのてはじめに『古事記』の黄泉比良坂のたたかい、またキリスト教のいうハルマゲドンのたたかいとして、日本とアメリカの大戦争が眼前にせまっていると強調された〉<ref>『[[大本七十年史]] 上巻』「{{obc|B195401c3131|日米戦争の予言}}」545頁</ref>。 | ||
上記の宣伝内容は、大本出現の必然性や、日米戦争の予言を説いている。『大本の出現とそのあかし』によると、それは次のようなものである。<ref>『大本の出現とそのあかし』88~95頁</ref> | |||
最初に「'''火水'''(かみ)」という字が出て来る。渾沌の天地が剖判して火水の両性、陰陽の両義が出現したのである。次に大本のこと、即ち現代のことが現れて来る。まず「'''十'''(かみ)」と「'''アクマ'''(悪魔)」が現れる。十の縦棒は火の用であり、横棒は水の用であり、十は火水(かみ)即ち神を意味する。これは火と水の二大神人によって神業が行われる大本の出現の予言である。この十字、即ち神はどこに現れるかというと「'''タニハ'''(丹波)」の「'''アヤベ'''」の「'''大本'''」である──。 | |||
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ファイル:切紙神示で作った火と水.jpg|「火水(かみ)」 | |||
ファイル:切紙神示で作った十とアクマ.jpg|「十」と「アクマ」 | |||
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ファイル:切紙神示で作った大本.jpg|「大本」 | |||
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このように、大本出現や日米戦争、大峠等のストーリーに乗せて、それを示す文字が紙片を並び変えることによって次々と現れるという神秘性を見せることで、ストーリーの信憑性を高める(聞く者を納得させる)という宣教方法だったようである。 | このように、大本出現や日米戦争、大峠等のストーリーに乗せて、それを示す文字が紙片を並び変えることによって次々と現れるという神秘性を見せることで、ストーリーの信憑性を高める(聞く者を納得させる)という宣教方法だったようである。 | ||
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つまり、ストーリーに沿って文字を作っているだけだとも言える。 | つまり、ストーリーに沿って文字を作っているだけだとも言える。 | ||
だが切紙神示は本来は、神霊に導かれるまにまに紙片を並び替え、神示を乞う手段であったようである(「[[#皇国の神術]] | だが切紙神示は本来は、神霊に導かれるまにまに紙片を並び替え、神示を乞う手段であったようである(「[[#皇国の神術]]」参照)。つまり出口直が自動書記によって文字を書いたのと同じことである。神霊に感応して自ずから手が動いて紙片を並び替えるのであって、特定の文字を作るために意図的に紙片を並び替えるのではない。また、並べられた紙片によって連想される文字は一つではなく、複数の解釈が出来る場合もある。たとえば「大本」という文字は「六本」という文字にも見えるが、それをどういう文字なのか判定するのは、神霊の導きによるものであろう(つまり審神)。さらに、その文字の連続から、どのようなストーリー(神示)が作られるのかも、神霊の導きによるものであろう。たとえば「アクマ」の3文字は並びを変えれば「アマク(甘く)」になる。大本出現や大峠を示す文字やストーリーは、最初に誰かが(おそらく王仁三郎)神霊に導かれて得たものであって、それを定型化して宣教に活用していたものと思われる。 | ||
== 皇国の神術 == | == 皇国の神術 == | ||
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** 神習教で切紙神示が伝わっている。切紙神示は管長相伝であり、いつ頃から伝わっているのかは分からない。<ref>「誌上講座(十三)」19頁下段</ref> | ** 神習教で切紙神示が伝わっている。切紙神示は管長相伝であり、いつ頃から伝わっているのかは分からない。<ref>「誌上講座(十三)」19頁下段</ref> | ||
** 帝京大学の「宮崎義至」という教員<ref>「宮崎義至」という名前の学者は検索しても見当たらないので、名前は間違っている可能性がある。</ref>が、1995年<ref>1998年に書いた記事で「三年前」と書いてあるので1995年。</ref>に台湾に行った際、ある高官が座興で十字とHELLを切って見せた。またHELLをLOVEに変化させて見せた。<ref>「誌上講座(十三)」20頁上段</ref> | ** 帝京大学の「宮崎義至」という教員<ref>「宮崎義至」という名前の学者は検索しても見当たらないので、名前は間違っている可能性がある。</ref>が、1995年<ref>1998年に書いた記事で「三年前」と書いてあるので1995年。</ref>に台湾に行った際、ある高官が座興で十字とHELLを切って見せた。またHELLをLOVEに変化させて見せた。<ref>「誌上講座(十三)」20頁上段</ref> | ||
* | * 宮沢賢治が大正12年(1923年)8月4日に作った詩「オホーツク挽歌」に、十字架とHELLが歌われている。この詩は妹とし子(大正11年11月27日に病死した)との思い出を歌った詩である。宮沢賢治は紙片ではなく木片でそれを作った。〈(略)幾本かの小さな木片で HELLと書きそれをLOVEとなほし ひとつの十字架をたてることは よくたれでもがやる技術なので とし子がそれをならべたとき(略)〉〔宮沢賢治『春と修羅』大正13年、関根書店、235頁~236頁<ref>{{ndldl|979415/1/120|春と修羅}}</ref>〕。<ref>「誌上講座(十三)」20頁下段~21頁下段</ref> | ||
** 紙片ではなく木片によって「HELL」と「十」を作る方法は、たとえば次のように13本の木片を使えば可能である。「HELL」の「H」「L」を「O」「V」に並べ変えることで「LOVE」に変化する。 | |||
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== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
* [[孝明天皇]] | |||
* [[旭形亀太郎]] | |||
* [[たまほこのひ可里]] | |||
== 脚注 == | == 脚注 == |
2024年6月27日 (木) 07:32時点における版
切紙神示(きりがみしんじ)とは、半紙を切った紙片を並べて神示を得る方法、及びそれによって得られた神示のこと。大正時代に大本の一部において宣教の手段として用いられていた。「紙剪り(かみきり)宣伝」「紙切宣伝」等とも呼ばれる。
紙の切り方
下の図1のように半紙を折り畳み、一辺を切り落とす。すると図2のように、9枚の紙片に分割される。
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図1
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図2
この紙片を並べると様々な文字が現れる。
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「火」と「水」
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「十」と「アクマ」
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「十」と「HELL」
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「十」と「LOVE」
資料
切紙神示を使った神示・宣伝の実例としては、次のものがある。
- 『神霊界』大正10年(1921年)1月1日号の出口王仁三郎による随筆「掃き寄せ集」88頁
- 土井靖都『大本の出現とそのあかし』昭和7年(1932年)、天声社、86~130頁「七、切紙神示」、NDLDL蔵書
切紙神示について解説された資料には、次のものがある。
- 出口和明「誌上講座(十)神秘を展く「切紙神示」」、『神の国』平成10年(1998年)1月号、6~23頁
- 出口和明「誌上講座(十二)切紙神示は誰がどこから」、『神の国』平成10年(1998年)4月号、20~40頁
- 出口和明「誌上講座(十三)孝明天皇が旭形に託した遺勅とは」、『神の国』平成10年(1998年)5月号、18~35頁
- 出口和明『出口王仁三郎が語る霊界の最高機密 最終メッセージ編』、平成11年(1999年)、KKロングセラーズ、185~201頁「あなたにもできる予言「切紙神示」の不思議」及び「あとがきにかえて」
- 武田崇元「出口王仁三郎を予言した「切紙神示」 ─知られざる孝明天皇と謎の力士・旭形の因縁!!」、『ムー』平成28年(2016年)3月号、92~97頁
- 出口恒『誰も知らなかった日本史 ─切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言)』平成28年(2016年)、ヒカルランド
概要
切紙神示は大本内において広く知られていたわけではない。『大本七十年史』では第一次大本事件前の宣伝状況を説明する中で、次のように切紙神示(紙切り宣伝)について短く言及されているだけである。〈しかし、ここで注意しておかねばならぬことがある。それは、この時期の宣教内容が、立替えのために社会の争乱や飢饉・疫病や天変地異、さらに日本対世界の大戦がおこり、地球の大掃除があったのち、新世界が出現するといっだ漠然たる予言と警告だけではなく、その主張がいよいよ具体性をおびてきていることである。それには紙切り宣伝をも応用し、立替えのてはじめに『古事記』の黄泉比良坂のたたかい、またキリスト教のいうハルマゲドンのたたかいとして、日本とアメリカの大戦争が眼前にせまっていると強調された〉[1]。
上記の宣伝内容は、大本出現の必然性や、日米戦争の予言を説いている。『大本の出現とそのあかし』によると、それは次のようなものである。[2]
最初に「火水(かみ)」という字が出て来る。渾沌の天地が剖判して火水の両性、陰陽の両義が出現したのである。次に大本のこと、即ち現代のことが現れて来る。まず「十(かみ)」と「アクマ(悪魔)」が現れる。十の縦棒は火の用であり、横棒は水の用であり、十は火水(かみ)即ち神を意味する。これは火と水の二大神人によって神業が行われる大本の出現の予言である。この十字、即ち神はどこに現れるかというと「タニハ(丹波)」の「アヤベ」の「大本」である──。
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「火水(かみ)」
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「十」と「アクマ」
-
「タニハ」と「十」
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「アヤベ」と「十」
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「大本」
このように、大本出現や日米戦争、大峠等のストーリーに乗せて、それを示す文字が紙片を並び変えることによって次々と現れるという神秘性を見せることで、ストーリーの信憑性を高める(聞く者を納得させる)という宣教方法だったようである。
しかし、9枚の紙片によって作ることが出来る文字の全てが、大本出現や大峠の予言に関することではない。それ以外の文字も多数作ることができる。
つまり、ストーリーに沿って文字を作っているだけだとも言える。
だが切紙神示は本来は、神霊に導かれるまにまに紙片を並び替え、神示を乞う手段であったようである(「#皇国の神術」参照)。つまり出口直が自動書記によって文字を書いたのと同じことである。神霊に感応して自ずから手が動いて紙片を並び替えるのであって、特定の文字を作るために意図的に紙片を並び替えるのではない。また、並べられた紙片によって連想される文字は一つではなく、複数の解釈が出来る場合もある。たとえば「大本」という文字は「六本」という文字にも見えるが、それをどういう文字なのか判定するのは、神霊の導きによるものであろう(つまり審神)。さらに、その文字の連続から、どのようなストーリー(神示)が作られるのかも、神霊の導きによるものであろう。たとえば「アクマ」の3文字は並びを変えれば「アマク(甘く)」になる。大本出現や大峠を示す文字やストーリーは、最初に誰かが(おそらく王仁三郎)神霊に導かれて得たものであって、それを定型化して宣教に活用していたものと思われる。
皇国の神術
佐藤紋次郎が口述した『たまほこのひ可里』によると、幕末の天皇である孝明天皇は切紙神示を用いて、綾部に大本が出現することや、米国の侵略から日本を救うのは出口王仁三郎だと予言していた。
孝明天皇はそれを切紙神示ではなく「皇国の神術」または「神国の秘法」と呼んでいた。なぜ孝明天皇が切紙神示を知っていたのかは不明である。孝明天皇は禁門の変(1864年)の際に切紙神示を、近侍の旭形亀太郎に伝授し、旭形は明治25年(1892年)に弟子の佐藤紋次郎にそれを伝授した。
孝明天皇が切紙神示によって得られた神示を記した文書があり、「御宸筆」とか「遺勅」「経綸書」等と呼ばれている。孝明天皇はやはり禁門の変の際にそれを旭形に託した。そして旭形は明治34年(1901年)佐藤に「皇紀2600年になったら70歳になる男に渡せ」と言ってそれを託した。佐藤は大本に入信して時を待ったが、第二次大本事件の際に警察の命令で止むを得ずそれを焼却してしまった。
孝明天皇の経綸書の一部は『たまほこのひ可里』に書かれている。また、出口恒『誰も知らなかった日本史』にはその内容が細かく解説されている。
起源・伝播
- 切紙神示の起源は諸説ある。『たまほこのひ可里』では、切紙神示は孝明天皇が用いていた神術とされている。宮中に古くから伝わって来たようなニュアンスである。
- 『大本の出現とそのあかし』ではルーツについて、イギリスの新聞社が一度ハサミを入れるだけで十字架を切り出す方法を十万ドルの懸賞金で募集した。するとある婦人がこの方法を応募し当選した、と記されている。[3]
- ただし大本における切紙神示の始まりはそれとは異なり、台湾の桃園に住んでいた医家で大本信者の原登喜治(はら ときじ)が、会社の会議の席上で、紙を切り出して十字とHELLを作ったことに始まる。それ以来、大本信者間においては、切紙神示は〈大本に関する事の説明を綴り出す、甚深微妙なる天啓であることを次第に発見するに至つた〉[4]と記されている。[3]
- 出口和明が切紙神示を知ったのは、中学生の頃で、土井靖都に教えてもらった。[5]
- 出口和明によると──
- 平成10年(1998年)1月3日、NHKの番組「ふたりのビッグショー」[6]で森繁久彌と和田アキ子が共演した際に、森繁が紙をハサミで切って、十字とHELLの文字を出して見せた。森繁はこれをどこかで、ある外人から教わった。その外人はフランスかどこかの新聞社が一度ハサミを入れるだけで十字架を切り出す方法を募集して女性が入賞したものだと答えた。[7] [8]
- 神習教で切紙神示が伝わっている。切紙神示は管長相伝であり、いつ頃から伝わっているのかは分からない。[9]
- 帝京大学の「宮崎義至」という教員[10]が、1995年[11]に台湾に行った際、ある高官が座興で十字とHELLを切って見せた。またHELLをLOVEに変化させて見せた。[12]
- 宮沢賢治が大正12年(1923年)8月4日に作った詩「オホーツク挽歌」に、十字架とHELLが歌われている。この詩は妹とし子(大正11年11月27日に病死した)との思い出を歌った詩である。宮沢賢治は紙片ではなく木片でそれを作った。〈(略)幾本かの小さな木片で HELLと書きそれをLOVEとなほし ひとつの十字架をたてることは よくたれでもがやる技術なので とし子がそれをならべたとき(略)〉〔宮沢賢治『春と修羅』大正13年、関根書店、235頁~236頁[13]〕。[14]
- 紙片ではなく木片によって「HELL」と「十」を作る方法は、たとえば次のように13本の木片を使えば可能である。「HELL」の「H」「L」を「O」「V」に並べ変えることで「LOVE」に変化する。
関連項目
脚注
- ↑ 『大本七十年史 上巻』「日米戦争の予言#」545頁
- ↑ 『大本の出現とそのあかし』88~95頁
- ↑ 3.0 3.1 『大本の出現とそのあかし』92頁
- ↑ 「甚深」は底本通り。「深甚」の誤字か?
- ↑ 「誌上講座(十)」12頁上段
- ↑ 1993年から10年間放送された音楽番組。ふたりのビッグショー - NHK
- ↑ 「誌上講座(十二)」20~21頁
- ↑ これは和明が森繁宅に電話してその長男から聞いた情報である。しかし放送された番組については疑問がある。Wikipedia記載の情報(2024/05/17閲覧)によると「ふたりのビッグショー」は、1998年1月3日には放送されていない。5日か12日の放送であるが出演者は異なる。森繁久彌と和田アキ子が共演した回は存在しない。別の番組の可能性がある。<wp>ふたりのビッグショー#放送日・出演者</wp>
- ↑ 「誌上講座(十三)」19頁下段
- ↑ 「宮崎義至」という名前の学者は検索しても見当たらないので、名前は間違っている可能性がある。
- ↑ 1998年に書いた記事で「三年前」と書いてあるので1995年。
- ↑ 「誌上講座(十三)」20頁上段
- ↑ NDLDL蔵書
- ↑ 「誌上講座(十三)」20頁下段~21頁下段