「元伊勢皇大神社」の版間の差分

出典: 出口王仁三郎と霊界物語の大百科事典『オニペディア(Onipedia)』
編集の要約なし
編集の要約なし
(同じ利用者による、間の6版が非表示)
3行目: 3行目:
[[ファイル:宮川2017.jpg|thumb|皇大神社の下を流れる[[宮川]]の激流。平成29年(2017年)2月撮影。]]
[[ファイル:宮川2017.jpg|thumb|皇大神社の下を流れる[[宮川]]の激流。平成29年(2017年)2月撮影。]]
[[ファイル:産釜産盥2017.jpg|thumb|[[宮川]]の激流の中にある[[産釜・産盥]]。平成29年(2017年)2月撮影。]]
[[ファイル:産釜産盥2017.jpg|thumb|[[宮川]]の激流の中にある[[産釜・産盥]]。平成29年(2017年)2月撮影。]]
[[ファイル:天岩戸神社2017.jpg|thumb|[[宮川]]の絶壁に建つ[[天岩戸神社]]。平成29年(2017年)2月撮影。]]


'''元伊勢皇大神社'''(もといせこうたいじんじゃ)は、大江町にある神社で、[[元伊勢]]伝承地の一つ。明治34年(1901年)の「[[元伊勢お水の御用]]」の舞台となった。
'''元伊勢皇大神社'''(もといせこうたいじんじゃ)は、大江町にある神社で、[[元伊勢]]伝承地の一つ。明治34年(1901年)の「[[元伊勢お水の御用]]」の舞台となった。
22行目: 21行目:


両社とも元伊勢水の御用の際に、出口直・王仁三郎一行が参拝した記録がある<ref>出口王仁三郎の歌集『浪の音』359頁「断崖の上に建てたる岩戸神社鉄柵つたひて神前に詣でし」、363頁「かへり路を河守船岡山にます豊受大神の宮に詣でし」</ref>。
両社とも元伊勢水の御用の際に、出口直・王仁三郎一行が参拝した記録がある<ref>出口王仁三郎の歌集『浪の音』359頁「断崖の上に建てたる岩戸神社鉄柵つたひて神前に詣でし」、363頁「かへり路を河守船岡山にます豊受大神の宮に詣でし」</ref>。
== ギャラリー ==
<gallery>
ファイル:元伊勢皇大神社2014-1.jpg|元伊勢皇大神社へ登る石段。2014年4月撮影。
ファイル:元伊勢皇大神社2014-2.jpg|元伊勢皇大神社。2014年4月撮影。
ファイル:元伊勢皇大神社2014-3.jpg|元伊勢皇大神社の御神木。2014年4月撮影。
ファイル:天岩戸神社2017.jpg|[[宮川]]の絶壁に建つ天岩戸神社。2017年2月撮影。
ファイル:天岩戸神社2014.jpg|[[宮川]]の絶壁に建つ天岩戸神社。2014年4月撮影。
ファイル:宮川2014.jpg|[[宮川]]。2014年4月撮影。
ファイル:産釜産盥2014.jpg|[[産釜産盥]]。2014年4月撮影。
ファイル:岩戸山2014.jpg|[[岩戸山]]。2014年4月撮影。
</gallery>
【豊受大神社】
<gallery>
ファイル:豊受大神社2014-1.jpg|豊受大神社が鎮座する[[船岡山]]に登る石段。2014年4月撮影。
ファイル:豊受大神社2014-2.jpg|豊受大神社。2014年4月撮影。
ファイル:豊受大神社2014-3.jpg|豊受大神社。2014年4月撮影。
ファイル:豊受大神社2014-4.jpg|豊受大神社の御神木。2014年4月撮影。
ファイル:豊受大神社2014-5.jpg|豊受大神社から見た風景。2014年4月撮影。
</gallery>


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
37行目: 57行目:
{{デフォルトソート:もといせこうたいしんしや}}
{{デフォルトソート:もといせこうたいしんしや}}
[[Category:神社]]
[[Category:神社]]
[[Category:元伊勢皇大神社]]
[[Category:元伊勢皇大神社|*]]

2024年6月2日 (日) 18:36時点における版

皇大神社の社殿。平成29年(2017年)2月撮影。
元伊勢皇大神社の御神体山である岩戸山。2008年3月撮影。
皇大神社の下を流れる宮川の激流。平成29年(2017年)2月撮影。
宮川の激流の中にある産釜・産盥。平成29年(2017年)2月撮影。

元伊勢皇大神社(もといせこうたいじんじゃ)は、大江町にある神社で、元伊勢伝承地の一つ。明治34年(1901年)の「元伊勢お水の御用」の舞台となった。

概要

  • 鎮座地:京都府福知山市大江町内宮字宮山217
  • 主宰神:天照大神
  • 宮山と呼ぶ高台の上に鎮座する。
  • そばを流れる宮川に「産釜産盥」という磐座がある。
  • 霊界物語第16巻第16章神定の地#には、元伊勢皇大神社の起源とも言うべきエピソードが記されている。──大江山の麓、剣尖山の谷間でウラナイ教を布教していた青彦を諫めるため、悦子姫は偽の神懸かりをしたが、本物の天照皇大神が懸かり、宮殿の造営を亀彦英子姫悦子姫の三人に一任した。百日間の造営工事を経て宮殿は完成し、天照大御神の神霊を祀った。「これ伊勢神宮宮殿造営の嚆矢なり。今は丹後の元伊勢と云ふ」

元伊勢三社

地元では皇大神社、天岩戸神社、豊受大神社の三社を「元伊勢三社」と呼んで信仰されて来た。

天岩戸神社宮川の岸壁に建っている小さなお宮である。

豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)は皇大神社から南へ約3km離れた船岡山と呼ぶ高台に鎮座する。伊勢外宮の元宮だという伝承がある。住所は、明治22年~昭和26年までは加佐郡 河守上村(こうもりかみむら)大字 天田内(あまだうち)。現在は京都府福知山市大江町天田内。

両社とも元伊勢水の御用の際に、出口直・王仁三郎一行が参拝した記録がある[1]

ギャラリー

【豊受大神社】

関連項目

外部リンク

脚注

  1. 出口王仁三郎の歌集『浪の音』359頁「断崖の上に建てたる岩戸神社鉄柵つたひて神前に詣でし」、363頁「かへり路を河守船岡山にます豊受大神の宮に詣でし」