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[[ファイル:王仁三郎と愛犬シロ.jpg|thumb|||王仁三郎と愛犬シロ(昭和19年春、中矢田農園にて)]] | |||
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'''シロ'''は、[[王仁三郎]]が晩年飼っていた秋田犬の名前。 | '''シロ'''は、[[王仁三郎]]が晩年飼っていた秋田犬の名前。 | ||
[[三浦玖仁子]]<ref>[[三浦玖仁子]]は昭和8~10年、17~23年の計約7年間、王仁三郎の側近を務めた。〔『花いろいろ』p12〕</ref>の回想記『[[花いろいろ]]』<ref>[[三浦玖仁子]]『[[花いろいろ]] ~出口王仁三郎聖師の側近七年の記録』(昭和63年発行、天声社扱い)</ref>によると、昭和17年に王仁三郎が未決監から亀岡に帰って<ref>当時王仁三郎は大阪拘置所に拘置されており、昭和17年8月7日に保釈され亀岡に帰った。</ref>間もなく、秋田の[[高橋早苗]]という人から一匹の秋田犬が届けられた。高橋は戦争中に街の中で利口そうな純白の犬に出会い、自分はあまり犬を好まないのに、どうしたことか無性にその犬に惹かれた。その犬の飼い主に、日本一偉い人に贈りたいから譲ってもらえないかと頼み、お米と交換して譲ってもらった。汽車になかなか乗れない時代だったが、親しくしていた駅長に煙草を持って行って頼み込み、軍用犬として輸送する許可をもらった。こうして秋田から亀岡に運ばれ、王仁三郎の元に届けられた。王仁三郎はこの犬に「シロ」と名付け、寵愛し、シロは王仁三郎の手足となって活躍した。朝の散歩はいつもシロがお供をして、たんぼ道で転んだ時などはシロが王仁三郎の袂を咥えて起こしてくれた。〔『花いろいろ』p51-54〕 | [[三浦玖仁子]]<ref>[[三浦玖仁子]]は昭和8~10年、17~23年の計約7年間、王仁三郎の側近を務めた。〔『花いろいろ』p12〕</ref>の回想記『[[花いろいろ]]』<ref>[[三浦玖仁子]]『[[花いろいろ]] ~出口王仁三郎聖師の側近七年の記録』(昭和63年発行、天声社扱い)</ref>によると、昭和17年に王仁三郎が未決監から亀岡に帰って<ref>当時王仁三郎は大阪拘置所に拘置されており、昭和17年8月7日に保釈され亀岡に帰った。</ref>間もなく、秋田の[[高橋早苗]]という人から一匹の秋田犬が届けられた。高橋は戦争中に街の中で利口そうな純白の犬に出会い、自分はあまり犬を好まないのに、どうしたことか無性にその犬に惹かれた。その犬の飼い主に、日本一偉い人に贈りたいから譲ってもらえないかと頼み、お米と交換して譲ってもらった。汽車になかなか乗れない時代だったが、親しくしていた駅長に煙草を持って行って頼み込み、軍用犬として輸送する許可をもらった。こうして秋田から亀岡に運ばれ、王仁三郎の元に届けられた。王仁三郎はこの犬に「シロ」と名付け、寵愛し、シロは王仁三郎の手足となって活躍した。朝の散歩はいつもシロがお供をして、たんぼ道で転んだ時などはシロが王仁三郎の袂を咥えて起こしてくれた。〔『花いろいろ』p51-54〕 |
2023年12月1日 (金) 23:25時点における最新版
シロは、王仁三郎が晩年飼っていた秋田犬の名前。
三浦玖仁子[1]の回想記『花いろいろ』[2]によると、昭和17年に王仁三郎が未決監から亀岡に帰って[3]間もなく、秋田の高橋早苗という人から一匹の秋田犬が届けられた。高橋は戦争中に街の中で利口そうな純白の犬に出会い、自分はあまり犬を好まないのに、どうしたことか無性にその犬に惹かれた。その犬の飼い主に、日本一偉い人に贈りたいから譲ってもらえないかと頼み、お米と交換して譲ってもらった。汽車になかなか乗れない時代だったが、親しくしていた駅長に煙草を持って行って頼み込み、軍用犬として輸送する許可をもらった。こうして秋田から亀岡に運ばれ、王仁三郎の元に届けられた。王仁三郎はこの犬に「シロ」と名付け、寵愛し、シロは王仁三郎の手足となって活躍した。朝の散歩はいつもシロがお供をして、たんぼ道で転んだ時などはシロが王仁三郎の袂を咥えて起こしてくれた。〔『花いろいろ』p51-54〕
王仁三郎がシロと使って信者を救ったというエピソードも残されている。
- シロはふだん畳の上に上がるということはなかった。いつも王仁三郎の元を訪れる信者が、あるとき風邪を引いて行けなかったときがあった。シロはその信者の家に現れ、何か話がありそうな格好をする。風邪を引いて今は行けないが、治ったらまた行くと話すと、シロは分かったような様子で帰って行った。〔『花いろいろ』p87-88〕
- 戦後間もなく、沖縄の崎山主会長が王仁三郎の元に参拝に訪れた時、王仁三郎は「沖縄の信者の中には空襲の時、シロに救われた者があるはず」と話した。崎山は沖縄での会合でそのことを尋ねてみると、50歳くらいの婦人が急に泣き出して次のように話した。空襲で防空壕に入ると、直撃弾が近くに落ちて壕の入口が土砂でふさがりかけ、危険を感じて外に出た。しかし八方火の海でどちらに行けばよいのか見当がつかない。『大神様、惟神霊幸倍坐世』と大声で唱えた。するとどこからか真っ白い犬が飛んで来て、あたかもこっちだ、こっちだと言わんばかりに、後ろを振り向き振り向き先に走って行く。これはきっと神様の使者に違いないと直感し、犬の後をついて夢中で走った。気がつくと安全地帯に出ていた。犬はいつの間にか消えて見えなくなっていた。〔『花いろいろ』p22〕
王仁三郎が発病した頃(昭和21年夏)からシロのことは人々の脳裏から遠ざかり、王仁三郎が中矢田農園から瑞祥館(天恩郷内)に移ってからのシロの行方はよく分かっていない。シロが猛犬とケンカして怪我をしたという話や、王仁三郎の昇天(昭和23年1月19日)の直前に死んだという話もある。〔『花いろいろ』p171〕