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'''黄金閣'''(おうごんかく)は、[[綾部]]の神苑にあった建物で、大正8年(1919年)11月に完成した。[[教祖殿]]の隣りにあった。最初は「'''言霊閣'''」と名付けられ、後に「黄金閣」に改された。
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'''黄金閣'''(おうごんかく)は、[[綾部]]の神苑にあった建物で、大正8年(1919年)11月に完成した。[[教祖殿]]の隣りにあった。最初は「'''言霊閣'''(ことたまかく)」と名付けられ、後に「黄金閣」に改名された。


== 概要 ==
== 概要 ==
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2023年11月24日 (金) 20:24時点における最新版

教祖殿(左)と黄金閣(右)。手前の池は金竜海
黄金閣。
黄金閣。

黄金閣(おうごんかく)は、綾部の神苑にあった建物で、大正8年(1919年)11月に完成した。教祖殿の隣りにあった。最初は「言霊閣(ことたまかく)」と名付けられ、後に「黄金閣」に改名された。

概要

  • 大正8~9年において最も重視され期待された造営は、黄金閣と五六七殿の建設だった。黄金閣は最初は言霊閣(ことたまかく)と呼ばれ、言霊の神威を発揚される神聖な建物として建てられた。王仁三郎は「いよいよ言霊閣の落成と共に、神軍の活動は益々激烈の度を加へて来た。神の生宮たる大本の信者は、神軍の活動に後れないやう言霊戦の大活動を始めねば成らぬ場合である」(『神霊界』大正8年10月15日号)と指示した。そのこともあって、この頃から盛んに言霊の実習が始められ、各地の山々に言霊踏査隊が派遣されるようになった。[1]
  • 黄金閣は三階建ての高層で、桧造り。屋根の上には金色に塗った瓢が乗せられた。地面から瓢までの高さは67尺(約20m)。1階と2階は5間四方で、32畳を4室に分け、3階は3間四方で、12畳1室だった。3階の部屋には天津神算木を安置し、天井から75個の鈴が吊された。旧元日には黄金閣で四方拝が行われ、王仁三郎は75個の鈴を鳴らして、天津神算木を運用した。[1]
  • 黄金閣の下には岩戸があった。この岩戸は大正6~7年頃、もっぱら特殊修業者の無言の行場に使用されていた。その上に黄金閣が造られたが、岩戸はそのままにされていた。大正10年の大本事件で捜査班は黄金閣に踏み込み、地下の岩戸も捜査した。周囲の池の水が染み込んで5寸ばかり水が溜まっており、これが黄金閣地下室として新聞に、十人生き埋めになっているとか、婦女暴行や紙幣偽造を行っていた場所などと嘘を書き立てられが、実際には二人の警官が調べたものの何も発見されなかった。[2]
  • 言霊閣から黄金閣に改名された時期は不明。霊界物語等の王仁三郎著作では「言霊閣」と「黄金閣」が併用されており、いつから改名されたのか判然としない。

略年表

  • 大正7年(1918年)10月下旬、言霊閣の基礎工事が始まる。
  • 大正8年(1919年)4月3日、五六七殿、言霊閣、教主殿の地鎮祭。4月5日、斧始式。
  • 同年7月10日、黄金閣の上棟式。
  • 同年11月4日、竣成。
  • 大正9年(1920年)1月1日、言霊閣で六合拝。
  • 大正13年(1924年)9月10日、大正日日新聞社の社債返還訴訟により、本宮山奥都城教祖殿・黄金閣等が差し押さえられる。
  • 昭和2年(1927年)2月2日(旧1月1日)、黄金閣で六合拝。
  • 同年9月30日、当局に押収されたお筆先等の押収物が大審院から返還される。御神宝は大正10年2月12日から満6年7ヶ月18日ぶりに黄金閣に納まる。
  • 昭和4年(1929年)9月27日、開祖御神像が黄金閣に安置される。
  • 昭和5年(1930年)1月30日(旧1月1日)、黄金閣で六合拝。
  • 同年4月1日、開祖御神像を黄金閣から穹天閣に遷座。
  • 昭和8年(1933年)4月3日、霊界物語の原稿浄写綴全冊を黄金閣から穹天閣に移す。
  • 昭和9年(1934年)2月14日(旧1月1日)、黄金閣と月宮殿で元朝祭。
  • 昭和10年(1935年)4月22日、筆先・霊界物語・宝物を黄金閣から鶴山宝物庫へ移す。
  • 昭和11年(1936年)5月、第二次大本事件により黄金閣は破壊される。

〔この項は特記ある場合を除き『大本年表』をもとに作成した〕

関連項目

脚注